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2019年11月

10月はハロウィンということで、クラスでジャックランタンを折り紙でつくりました。幼稚園児から5年生まで教えているので、折り方のレベルを変えたり、折り紙の大きさを学年に合わせたり工夫をしました。

また、今月は日本とカナダの違いには何があるかということをトピックとして授業を行いました。子どもたちからはたくさんの意見が返ってきました。食べ物・洋服・行事・言葉・時間・お店などがあがりました。「マクドナルドは日本にもあるよ。」と話すととても驚いていました。その後、日本から持参したマクドナルドのカップとカナダのカップを比べてみることにしました。日本のカップの小ささと、カナダのカップの大きさに子どもたちも、先生もびっくりした様子でした。日本のLサイズとカナダのMサイズを比べると、カナダのMサイズの方が少し大きかったからです。このカップの大きさ比べは担任の先生も興味を示し、どのサイズが自分たちにとってベストなのかを考えることにしました。

授業以外のことをお話したいと思います。今月はThanksgivingや Halloweenと日本にない行事がカナダではありました。
特にThanksgivingは家族で過ごす大事な行事です。私は寮に住んでいるので、どうするのかなぁと前日まで考えていました。しかし、学校のスタッフが家においでよ!と誘ってくれたのです。

またHalloweenも、かぼちゃでジャックランタンを作るから、放課後家においでと誘ってくれたり、夕食に誘ってくれたりと、まるで本当の家族のように接してくれました。本当に学校のスタッフに感謝しています。今までコミュニケーションを大切にすごしてきたことが今に繋がっていると実感しています。
宗教の先生から日本の宗教について話をしてほしいとリクエストが来た。
日本の公教育では宗教色を出さないので宗教について語った経験はなく改めて勉強した。
ちょうど新天皇の即位の年とも重なり、神道と仏教が混在する日本人の生活について写真を交えて話す。教科書を見せてもらうと日本の神道について詳しく載っていた。私たちがよく知らないことも遠いフィンランドで学習してもらってると思うと嬉しくなる。あなたの宗教は何ですか?と聞かれて答えられない日本人がたくさんいる。私も然り。でも祭りを楽しみ、神の御利益をいただくために手をあわせ、お守りを買っておみくじを引く、日本人は心のどこかに神道の精神を持っている気がした。
「日本語は難しい、けれど、すばらしい」
ホストファミリーは日本語を勉強していて日本語を教える機会がたくさんある。基礎的な日本語だから簡単と思っていたが難しい。フィンランド語も難しい言語だが日本語も負けず劣らず難しい。同じものでも言い方がいくつかあったり、どんな時にどちらを使うのかということを明確に教えられない。助詞「は」「が」のちがい、動詞の語尾の変化など難しい言語を使っているんだなと実感する。簡単な歌で覚える日本語として選んだ曲は「島人の宝」繰り返しが多く、身の回りの簡単な単語で組み立てられた歌詞である。これが作られた背景も併せて説明するとなおいい。ほかにもいい歌はあるのだが日本独特の言い回しや単語を説明するのが難しい。日本人しかわかりえない感情の表現、あらためて日本語の美しさを感じる。
クリスマスを楽しむ季節となりました。各家々、ヘルシンキの街並み、どこもとてもきれいにライトアップされています。

さて、今回はこれから海外に留学する方へ一つアドバイスができればと思います。

それは、「まずは何事も積極的にチャレンジしてみること」です。当たり前のことかもしれませんが、私はこの「基本」のおかがでたくさんのチャンスを得ることができました。

日本文化(日本語)の授業依頼はもちろん、通常の授業のサポート、放課後や週末に映画やコンサート、パーティーへの招待など、本当に多くの誘いを受けることができています。それも特定の限られた人だけではなく、研修先の先生方やホストファミリー、友人、さらには「友人の友人」からも声をかけてもらっています。

これは、私が「とても温かい心遣いのできる、素敵な人たちに囲まれて生活することができている」という恵まれた環境にいることも理由の一つですが、先日ふと「私はたくさんのイベントに参加することができて幸せだ」という話をしたところ、「それは、あなたが『どんなことでも、なんでもやってみよう!!』という姿勢だからよ。私たちも誘いやすいもの」という返事が返ってきました。

これが、私がこれから留学をされる方に伝えたいエピソードです。

積極的な方、控えめな方、それぞれ性格は異なると思いますが、誘う側として考えたら「あの人なら楽しく参加してくれるかも」と思える人に声をかけることが多いと思います。

嫌なこと、辛いことを無理して続けることはありませんが、「まずは一度チャレンジしてみる」ということは、大切なことだと思います。(その挑戦の中で新しい出会いを得る機会も多くありました。)

当たり前のことですが、改めてお伝えできたらと思います。

これからも一つひとつの出会いに感謝の気持ちを忘れずに、残りの数カ月もまだまだ楽しみたいと思います。

11月の1か月間は本研修校を離れて、中学校卒業後の特別支援を必要とする生徒のための専門学校(職業訓練校)で活動させていただきました。

フィンランドでは、特別支援学校中等部や通常の学級の支援級卒業後は、特別支援学校高等部ではなく、主にこうした専門学校(職業訓練校)への進学となるようです。調理、メディア、木材加工、コンピューターなど様々な専門領域のクラスに加えて、その専門を決めるためのクラス(VALMA)、将来の就労や自立した生活の準備のためのクラス(TELMA)があります。

半月ずつ入らせていただいた2つのTELMAクラスでは、それぞれ生徒が必要とする支援やその度合いが異なっていましたが、どちらのクラスでもクラス担任の他に多くのアシスタントの先生(教員ではない)がついていて(そのうちの一つのクラスでは、マンツーマン)、生徒たち一人ひとりがとても手厚い教育・支援が受けれているように思いました。そして、どちらのクラスも先生とアシスタントの先生との間での情報共有・意見交換が活発に行われていて、チームの連携を強く感じました。

専門学校なので、日本の特別支援の生徒の一般的な進学先である高等部(普通科)との簡単な比較はできませんが、より就労への実践的な経験を積む時間や、個々、少人数での活動が多かったです。障害者の就労についてはどちらの国でもまだ厳しい現状がありますが、学校を卒業した後の特別支援の生徒の将来について考える、よい機会となりました。
私は2005年6月から2006年6月まで、IIP さんよりご紹介頂き、スウェーデンの南に位置するスコーネ地方、エスロブという場所で一年間福祉留学をさせてもらいました。2006年に一度、活動が終了しましたが、その後、個人的にビザ等を手配し再びエスロブに戻り福祉の道を極め、スウェーデンでのアンダーナース(準介護士)の資格を得て高齢者福祉施設で働きました。

その後、ルンド大学に入学し、3年間ナースの勉強をし卒業後に看護師としてルンド大学病院で働いた後、次は修士の勉強でオペ専門の専門看護師の勉強をし、現在は専門看護師としてオペナースをしております。

IIP さんがくれたチャンスを活かし、今なおスウェーデンに住んでいます。2005年に私を受け入れて下さった方とも未だに交流が続いています。

長年、日本を離れスウェーデンに住んでいると、私は何の為にここに住み続けているのだろうと自責の念にかられます。2006年に活動が終わり、日本に一旦戻った時に私は日本とスウェーデンの架け橋になるようなイベントや活動はないものかと探したりしました。結局、その当時はスウェーデンにまた戻り勉強を続けたいという思いで日本での活動はしていません。

今、移住してもうすぐ15年になります。
今なら2006年に叶えられなかった日本とスウェーデンとの架け橋が、自分の経験と知識で叶えられるのでは?と考えております。

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