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2015年3月

三月の終わりですがこちらはまだまだ雪が積もっており、湖も凍っています。
音楽では春が来たをマイナス3度の中歌っている状態です。今、授業では相撲について授業を行なっています。ルールや動作など一連に説明した後、相撲力士の一日の過ごし方の動画を見せました。なんとなく見ていた相撲も外国の子どもからみるとありえないことのです。
また力士の看板を作り、顔を入れて写真を取れるようにしましたが大好評でした。低学年の子どもには「ロンドン橋落ちた」を日本語で教えたり、身体の部位を日本語で教えたりしています、それに関連づけて福笑いをしたのですが大好評でした。これからイースターに突入しますが、休み明けはおにぎりを作ることを予定しています。アレルギーを持つ子どもが非常に多く、シーフード、大豆(しょうゆ)、木の実、ピーナッツ、サラダドレッシング、りんご味などさまざまです。おにぎりの具は未だ検討中ですが子ども達が楽しめることを確信しているのでなんとか解決策を考えたいです。

この間、念に一度行なわれるスノーモービルのキャンプにいったり大学で行なわれている国際交流の行事に参加しました。そこでもいろいろな方々との出会いがありこんど折り紙を教える約束をしています。
教会が主催しているもので、運転させてもらったりしてとても楽しかったです。私は教会に通っているわけではないのですが、教会に通うのもお勧めだと思います。日本とは違って、教会は祈るためのところではなく、地域の交流をも図ってくれ、現地の生活が良く分かる場所だと思います。難しいことは考えずいってみるのもいいと思います。
こちらでのインターンも残すところ2ヶ月となりました。
毎日があっという間に過ぎていっています。

今月は、他校へ訪問してのひなまつりのプレゼン、日本の教育制度についてのプレゼン、その他にも授業など充実した日々が送れたと思います。日本のことについて授業をするたびに、私自身が日本をより知ることができていくようです。ただ、興味を持ってもらう、印象に残るという授業をするのはとても難しいと感じています。他の授業を見学させていただくことも多いのですが、そのときの先生方の授業の進め方から、学ぶことも多く、それを自分なりに応用できるように考えています。

また、今月は、授業とは別に折り紙を教える機会も多かったです。折り紙はとても反応がよく、説明するのは難しいですが、よく使えるコンテンツです。毎回、いくつかサンプルをつくっていって何をつくりたいのかきいてつくるようにしていて、私がつくるものを見ながらつくるという方式をとっています。ただ、このやり方だと、家に帰ってからもう一度つくるということが難しいので、作り方画書かれたものを、配るべきだと感じました。

来月は、幼稚園の訪問もあります。内容などかなり工夫が必要だとは考えていますが、子どもたちが楽しかったと感じてもらえるように構想を立てています。また、今回はフィンランド語での授業に挑戦する予定です。
3月はTerm1が終了ということで様々なイベントが重なりとても忙しくしかし今までで1番充実した月になりました。
Japanese dayを開催しました。相撲、盆踊り、お神輿、折り紙でかぶと作り、はっぴジャッケト作り、お面や扇子作り、日本のおもちゃ体験。私は盆踊りとお神輿を担当。はっぴを着て鉢巻きをしてお神輿を担いで、「ワッショイ」と掛け声かけながら校内を一周。恥ずかしがる子も居なくみんな大きな声で元気よく参加してくれてとても嬉しく感じました。
私の学校ではJapanese master classというものがあり、これは日本語の成績が良い子を集めてより日本のことを知ってもらうためのClassです。私は習字・折り紙(こいのぼり)・かるた・お祭を担当しました。このクラスで初めて1人で授業を担当しました。説明を英語で練習しカンニングペーパーを用意しましたが、いざ前に立つと練習通りに英語がでてこない。笑
結局「Like this」ばかり言ってた気がします。でもとても楽しい時間でした。
約6か月経ち、勤務していた学校とホストファミリーが終了になりました。私はほんとうに環境に恵まれ人に恵まれました。別れはとても寂しく悲しいですが、次の環境でもまた新たな出会いにワクワクしながら前向きに頑張っていきたいと思います。
人口3000人のフィンランド人しかいない町にひょっこり迷い込んだ私は、10か月の間に大きく目を開かされました。
フィンランドのイメージと教育システムに興味を抱き、このプログラムに出会って即決した一年半前。その時抱いていたよりももっと大きな経験ができました。
まず第一に人に恵まれたということ。学校の先生を始め、その家族、そして生徒たちに本当にたくさんのことを教えられ、与えられました。この関係はこれからもずっと途切れないように保っていけたらと思っています。
それから未知の言語をゼロから習得できたということ。最初は皆の話すフィンランド語が全く分からず放課後や週末が待ち遠しかったのですが、会話をしたい一心で独学し、さらに時が解決してくれて今では不自由なく会話ができるようになりました。4か月ころからは生徒とコミュニケーションが取れるようになったことで、授業にもより積極的に参加できるようになりました。英語も知らず知らずのうちに少しは上達していたようです。
そして日本の文化を教えるうちに私自身日本にさらに興味を持てました。今まであたりまえに受け入れていた日本の文化を外から見ることで、その魅力に気づかされました。もっと日本の中も旅をしてさらに良さを発見していきたいです。
「また絶対に帰ってくるんだ」という場所ができたこと、私の夢へのモチベーションの大きな財産になりました。今インターンをしているみなさん、これから行こうかと考えているみなさんには自分で決めた期間の中でできるだけたくさんの人に出会って、出かけて行って、様々な生き方をできるだけ見てほしいと思います。それはきっと自分の生き方にもつながってくるはずです。
小学校の先生を日本でいつかやりたいという夢や、教育を通して世界、地域そして世代をつないでいきたいという未来を抱かせてくれたこのインターンシッププログラムに感謝します。
社会人4年目を終えて、留学に踏み切った。それは即決したことではなく、大学卒業次からコツコツと、資金的にも内容的にも温めてきたこと。同期が来年度の準備を始める一方で、あっさり学校から去った私を、思い切ったねという人もいるけれど、計画期間は長かったので何を今更という気持ちが本音だった。例えば今「留学した自分に満足ですか?」と問われても、私は解答が出来ない。理由は三つ、①自己評価は択一で表現できるほど単純なものではないと考えるから、②日本に残した者のことは忘れないから、③日本に居た時には抱かなかった新たな課題に挑戦したくなってしまったから。

朝は9時近くになってようやく太陽が昇ってきて、夕方16時は真っ暗になっている日照時間の短さに、心身を慣らすことが大変でした。フィンランドの11月は「死の月」と言われる。皆太陽とともに気持ちが沈んで、精神疾患を患いやすいから。かつてうつ症状を訴えた生徒と向き合った身として、フィンランドでは教育現場がどう対応するのかを研修したかった。そんな自分自身が、そこまでひどい症状に見舞われなかったのは、現地で出会った剣道のおかげだった思う。ヨーロッパ大陸に根ざす剣道を愛する者達と共に稽古し、発散する場、会話する場を定期的に持つことが出来たから、12月末の現在、精神は安定している。

その恩を返す場は、研修期間もあとわずかとなった1月に訪れる。「Yutaが全て企画・実行する子どもたち向けの剣道キャンプをやってみないか」、という提案を頂いた。「俺だったらこうする」のようなアイデアを自由にやってみろ、お膳立てはするからって。そうだなあ厳しい稽古も提案するさ、けれどそれが終わったらみんなでお味噌汁を作って和食を楽しんで、サウナに入った後は折り紙教室も開く、大人も一体になって参加出来るイベント。フィンランド語に敬意を払いつつ、楽しく日本語を学べるイベント。1月2日~4日開催!

その為の準備という目標を持った今、留学した自分に満足かなんて答えられるわけがないんだ。きっとイベントが終わっても、帰国しても、復職しても分からないと思う。何年かして、参加した子どもたちが、剣道や日本に一層興味を持った大人になった、という知らせを聞いて、始めて「全てが終わった」と言えるのだろうから。
二月は節分を題材にしてみんなで鬼のお面を作りました。その中でGrade1も怖くないように工夫したりJapanese monsterとして河童も紹介しました。お皿の水が乾くと死ぬと伝えたらすごく驚いていました。簡単に作れるものでしたがすごく喜んでくれました。
何人かGrade6を貸してもらって、低学年の節分の鬼役をやってもらいました。この学校の生徒はとても協力的です。「~してくれる人?」と頼むと「me!me!」とたくさんの子どもが手を上げてくれます。いまはGrade5,6で水墨画を企画しています。枝と幹を墨で書きプラス一色足して花を描くをいうのを企画しています。

研修期間の半分が過ぎました。放課後何かに参加したく試行錯誤した結果、現地の友人ができ、日本語を学習したい人を紹介してくれたりいろいろ広がりました。私の家のホストファミリーは親切な方ですが、大変忙しく一人で家にいることも多かったので言葉が分からないなかできた友人がすごく嬉しかったです。こちらにきてから当たり前であったことがものすごく難しくなったり、本当に思ったことや感情は口に出さなければ伝わらないのに語学の壁に当たりいえなくなったり。その中で小さなことが達成できると嬉しいです。これは日本では経験できなかったと思います。
幼稚園でジャパニーズウィークを開催しました。

1日目・日本紹介、ゆかた
2日目・絵本、箸
3日目・習字
4日目・カレーを作ろう
5日目・音楽、トトロ鑑賞、かるた

"日本に旅行に行こう"というテーマで、
日本パスポートを発行しました。(遊びのです)
それぞれのページに文化紹介を載せて、それを終えるとスタンプを押す。
という、パスポートです。

どんなことをしたのか、紹介します。

○日本紹介
タブレットを使って、国旗・食べ物・警察官・消防士・夏祭り
などを紹介しました。クイズも入れつつ、"日本では食事と一緒に何を飲むでしょう"
とか、"たこ焼きの中に入ってるものは何でしょう"とか。

○ゆかた
日本から、子ども用の浴衣を男女1着ずつ、購入
ちなみに、120cmサイズで、フィンランドの6~7歳サイズぐらいです。
特に、女の子はすごく喜んで着ていました。

○箸
日本から、子ども用の箸を購入
日本では、どんな食べ物を箸で食べるか、食べ物の絵カードを使って紹介しました。
折り紙の箸置きも使って、茹でたマカロニを食べました。
そのあと、給食も箸を使ってたべたいということで、スープの日も、
マッシュポテトの日も箸で食べました。

○習字
半紙、筆、すずり、墨を100均にて購入
私のクラスは、だいぶ日本語に興味をもっていたので、
それぞれの名前をカタカナと漢字に訳したものを配布しました。
硯を使って、墨を作る工程を見せて、本番では、液体の墨を使いました。

○カレー
子どもには野菜を切ってもらい、あとの工程は私が調理しました。
カレーのルウは、ヘルシンキの東京館というところで買いました。3.2ユーロです。
カレーは子どもも、先生もみんなおいしいと言って食べてくれました。
もちろん、箸で食べようとする子どももいました。
米は、Purroriisiというのが一番日本の米に似ています。

○音楽では、タブレットを使って雅楽を聴いたり、
日本語で、歌をうたったりしました。日本の歌のCDを給食時にかけて聞きました。

○トトロ
図書館にジブリの作品は必ずあると思います。
トトロの映画の中にも、畳・ふすま・風呂釜・お地蔵とか、
初めてみるものがたくさんあるみたいで、とても興味を持って見ていました。
ひぐらしの鳴き声を聞いた子どもが、"これ、なんの音?"と質問。

○かるた
日本のカルタを、フィンランド語に訳して遊びました。
例えば、ジュースは、"mehu(メフ)"というのですが、
"me me me mehu"という感じに。
かるたの中にも、日本を紹介できる絵がたくさんあるので、
楽しめると思います。
"はいっ!!"と、元気に言ってカルタを取っていました。

○折り紙
折り紙は普段から、使っていたのですが、
今回は、箸袋を作りました。とても簡単に作れます。
そこに、箸を入れて持って帰りました。

毎日、子どもたちが「ねえ、今日は何をやるの?」と、
すごくワクワクして待っていたのが嬉しかったです。
私のクラスは、子どもが9人だったので、また小学校の大人数とは
条件が異なるかと思いますが、その年齢によって興味をもつものが違うんだろうな
と、思います。
例えば、幼稚園の子どもたちが気になることは、
・動物がいるのか
・ネコはいるのか
・鳥はどんな鳥がいるのか
・日本の子どもは、箸を使うのか、などなど

そんなこんなで、楽しい1週間でした。
2015年03月06日 50代以上 , フィンランド
私がお世話になったポルボーのアートスクールは、小学生以上は一般の学校が終わってからの登校で、どのクラスも週に1回の参加です。日本の習いごと教室の拡大充実版といったイメージ。3才以下のクラスも2つあって親子で参加します。
各クラスの始まりは一斉ではなく、ずれています。例えば、3時15分スタートのクラスの隣で、4時スタートのクラスが持たれると言った具合。最終のクラスが終わるのは20時になることもあります。そのかわり午前中のクラスは少なく、月水はありません。
美術専門なので、一般の学校のように算数・国語・外国語・社会・理科・体育といった授業はありません。音楽は3年生までの児童向けに美術とセットのクラスがかなりあります。
授業の構成には工夫と伝統があり、材料・道具はバライティーに富んでいます。美術に関わろうという方には学ぶものがたいへん多いと思います。
ただ、一般の学校に関わってきた人や今後そうしたい人にとっては足りないものがあります。私は、7日間だけでしたが一般の学校にも紹介していただき行かせてもらいました。
結果的には両方の学校で学べ、授業をさせていただけてかえってよかったと思っています。
また、この学校では先生方の登校下校時間がずれており休憩時間もずれているので、先生方が集まって休憩する時間がありません。自分から話しかけにいかないと、話すきっかけがつかめません。話しかけると先生方はとても親切熱心に教えてくれました。
また、週に1回の参加ということでカリキュラムは変更しにくく、授業をさせてもらうなら、かなり早くから相談しにいかないと難しいと思います。
これから行かれる方は、この辺りの事情をわかっているとよいと思います。    
アメリカ・ハワイ州のホノルルで日米協会が主催する異文化理解プログラム(スーツケースプログラム)に参加し、研修させて頂いております。
毎回、訪問させて頂く学校が異なるので、様々な学校の様子を見ることができて、とても勉強になります。子どもはハワイの中でも住んでいる地域によってこんなにも違うのかということを改めて実感しております。そして、本土で見てきた学校の様子ともまた異なり、日系人をはじめとした2世・3世の御子息が通っていたり、先生をされていたりということもあり、授業の中に少し日本のような静けさがある瞬間を感じたことが発見でした。
ワイキキ周辺の学校に訪問させていただいた際には、日本人の子供も多く、日本のことを紹介すると、得意気に「知ってるよ」と言って、授業をリードしてくれていました。ローカルの子に紹介した日本文化の中では日本の小学校の「掃除」と「ランドセル」を不思議そうに見聞きしていたことが印象的でした。ワイキキには日本人があぶれるほどいるのですが、私が思っていたよりは学校の中で日本語に親しむという時間は少ない様子です。ただ、共通していることは基本的にみんな陽気で明るくて、一緒にいて楽しいということです。ハワイの地域性なのかもしれませんね。
個人的なローカルの繋がりでパールハーバー近辺の小学校も訪問させて頂きました。この学校は高所得者のエリアということもあり、学校へ保護者からドネーションが集まります。そして、何かしらのイベントの際は、保護者がそのスタッフとして快く協力をしてくれたり、ご年配の方もできる場面で参画します。日本もなんとなくこういう形をボランティアとして目指したいのかな?という意図を感じ取りました。しかし、そのボランティアのレベルがすごいんです。休み時間の外遊びの監視スタッフ、給食の時間の整列スタッフ、そして一番驚いたことは、ロールになっているお手ふき用ペーパーを一枚一枚切って丁寧に重ねているご年配の方が教室の一角で授業中なのにやってくれている光景がとても斬新且つ新鮮でした。日本ではありえないことだと思いました。そして一番嬉しいことは教員が指導していることをボランティアの方々も尊重してくれることです。そうでないと相互の関係がうまくいかないと思いました。
  オーストラリアでは一月末まで長い夏休みで、2月が年度始めの1学期となります。子供達は新しいクラス、新しい担任の先生とのスタートになります。私が通っている小学校には日本語教室があり、現地の先生が日本語の先生としています。子供達はどの学年も週に1時間の日本語の授業があり、日本の文化や日本語を勉強しています。年度始めということと、現地の先生が昨年度の途中で代わり、新しい先生の立ち上げの年でもあるということで、どのような方針でやっていくか、どの学年にどんな内容を教えるか、学校のトピックスとどうマッチングさせるか、どのような評価をするかなど一緒に考えながらやっています。
  私の留学の残り一ヶ月を切りました。去年の今頃は、日本を離れる日まで残り何日と数えていたのが、ついこないだの事のように思えます。一年は本当にあっという間だという事をしみじみと感じています。残りの生活を悔いなく充実させたいと思いながら日々過ごしています。
ここKamloopsは日本人が珍しい街みたいです。京都の宇治市と姉妹都市で、おおむね親日的です。だいたい聞かれることは、東日本大震災、原発のこと、ISISの事件、宗教、スポーツ、寿司などです。嬉しかったのはTVやラジオで円相場をとりあげており、英国のウィリアム王子の訪日なども報道されていたことです。
学校では、簡単な挨拶を日本語でしてくれる先生方や生徒もいます。

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