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2013年09月01日・Mikako Murakami・ 20代 , オーストラリア , 海外教育交換プログラム
メルボルンに来て、5ヶ月弱、あと一ヶ月弱で前半の研修校での生活が終わります。今月はメルボルンでの生活の集大成の様なイベントが目白押しでした。今学期から始まった新しい試み、こちらに来て築いた人脈、そして日本人としてという3つの話をまとめたいと思います。

①新しい試み 日本語マスタークラス、映画
せっかくインターンが来ているのだから、ということで始まったマスタークラス。日本語の能力の高い児童を抽出して12名編成のクラスを作り週一回、授業をしています。中身としては、おみこしづくり、単語カードづくり、会話、アプリ、折り紙、iBookづくり、料理、日本料理店への遠足など。日本ではトップクラスの子供だけを集め、他の授業をやっているなか取り出して授業をすることは不可能ですが、このようなことができるのもオーストラリアの教育の特徴的な部分だと思いました。子供たちは興味があり、能力も高いので、その子たちを満足させる授業を考え設定していくことは、非常に大変ですが、子供に魅力を感じてもらう授業をすることが大切という教育の原点に返った気がしています。教師の勝負は授業という言葉をマスタークラスの子供といると感じさせられます。
また、日本語映画コンテストがあり、スクリプト作りからはじまり、キャスッティング、フィルミングと有志を募り、休み時間に行っています。やる気のある子供たち、そして出てくる様々な意見。オーストラリアの子は、本当に自分の意見を言うことが好きなので、それを拾い上げているときりがない気もしてしまいますが、そこはtake your timeの精神でじっくり聞き、作り上げています。私が海外の教育を見たいと思ったきっかけである、表現力を伸ばすためのアプローチの答えの一つのような気がしています。

②こちらでの人脈
日本で教員をしているという話をすると、もしよかったらうちの学校にも来てみない?というお誘いを受けることが多々あります。所属校の先生に許可を取り、参観させていただくのですが、本当に学校により授業が違うのだということを感じることが多いです。オーストラリアでは州ごとに教育システムが異なり、現在統一の傾向があるのですが、日本で言う所の学習指導要領ほどの縛りがあまりなく、特にLOTE(Language Other Than English)は、各学年ごとに定められている指導内容がなきに等しい状態です。つまり先生の裁量により授業が大きく変わるのです。子供を巻き込み、たくさん日本語を話させる先生の授業はやはりとても魅力的で、60分のなかに凝縮されている中身が濃く、日本語の定着度も高い気がしました。また高校や特別支援学校、そして中国語の授業を見せていただくチャンスもいただき、各学校の特徴を感じました。日本の学校は外国人が訪問するとなるとかなり高い壁がありますが、こちらは快く引き受けてくださることが多く、自分の見聞を広げるためにも、チャンスを最大限に生かしていく大切さを感じました。その
ように築いた人脈で、他校で授業をさせていただく機会にも恵まれ、大変充実した日々になりました。日本で教員をしているとネットワークを広げる必要性を感じないことが多くありますが、こちらでは、人脈を広げその人脈を活用して授業をしたり教育活動をし、学校をプロモーションすることが教師に求められているようです。LOTEの教師の役割として、外国の学校と姉妹校協定を結んだり、アジアファンデーションから奨学金をもらったり、学会に出て行ったりとそのようにして自校をプロモーションすることが求められているのだと、おっしゃっている方が多くいたのも衝撃でした。


③日本人として
8月は広島、長崎、終戦と第二次世界大戦に関わる話が多くありました。オーストラリアと日本は対戦国であったと同時にオーストラリア本土に爆撃をした唯一の国である日本。あまり認識がなく、8月を迎えた私としては、日本人として自国の歴史をもっと学ばなければならないということを強く感じる一ヶ月でした。そして日本の何が誇れる部分なのか、ということを考えるきっかけとなりました。日本人、日本文化のすばらしさは継承制にあり、文学しかり、芸術しかり、1000年以上続いているものがこんなにも多いのは世界に類を見ないすばらしさのように私は感じました。長い歴史があり、すばらしい文化を大切にしてきたということは、それらから多くのものを学び、決して恵まれているとは言い難い条件のもとであってもこんなに発展した国家を築き上げられたということにつながるのではないかと思いました。日本人としてそれらを誇りに思うこと、そしてそれを伝えられる環境にあれることに感謝してこれからも頑張りたいと思いました。


他校を見学している際に、生徒が人種差別発言をしたことがありました。先生は冷静に、それは全国民を見て言っているのか、一部を見て、または聞いた話でそのよな発言をしているのであれば、人種差別だし、失礼きわまりない。あなたもオーストラリア人は・・・と言われたいのかという話をされていました。彼女に聞くとそのように語学学習に対してネガティブな意識を持っていたり、人種差別発言をされることはあるということでした。けれどだからこそ、語学を教える意味があるのだ、語学を教えることはネイティブを作ることではなく、違いを認めること、他社を理解すること、そしてそれがよい市民を形成することにつながるのだという話に心を打たれました。なぜ、その学習をするのか、考えることでもっともっと指導者としての幅が広がると実感した出来事でした。

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