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2013年03月11日・Mitsuru Tsuji・ 30代 , デンマーク , 海外教育交換プログラム
今月、日本の小学校とデンマークをスカイプでつなぐ、ということを試みました。
当初は、子供たち同士の接続ができれば、と思っていましたが、デンマークと日本の時差は8時間あるので、今回は、私と日本の先生たちとの接続になりました。
私が働いていた市の、とある小学校との接続です。

接続は、30分を予定していましたが、充実したものとなり、1時間から1時間半と長いものになりました。

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私がデンマークに来て抱いたことには、
教育は人を作り上げ、人がその国家を作り上げる、ということです。

この国は"幸せ"な国で知られ、ある最近の調査では、「世界の幸せな国」ランキングで1位になっています。こちらに来て感じるのは、確かに、このデンマークの人々は、概ね、幸せそうに生活をしているということです。
一方、日本はというと、(もちろん充実した幸せな毎日を送っている人々もいますが)、自殺者が年間3万人を越え、精神的な病を抱える人が増加している傾向にあります。日々の生活に疲労を感じている人は、決して少なくないと思います。
この違いは、いったい、何なのでしょうか?

繰り返しますが、"教育は人を作り上げ、人がその国家を作り上げる"、
つまり、私は、この原因の一つは、日本が従来行ってきた教育にあると、今、思っています。
("教育"というのは、学校教育、家庭教育、地域教育など、様々な意味での教育について言っています。)

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デンマークに来て、違ったアプローチの教育を目の当たりにしました。

例えば、私が勤めているデンマークの学校では、「テスト」というものが、一切ありません。しかし、日本では「テスト」をすることが"あたりまえ"になっています。
いったい、どちらがいいのでしょうか?
私たちは、子どもたちのために教育をしています。
いったい、どちらが、子どもたちのためなのでしょうか?

もう一つ例を挙げると、
ここの学校では、大げさに言うと、寝っころがって人の話を聞いていても"しっかりと""静かに"聞いてさえいれば、先生は特に言いません。でも、日本はどうでしょうか。きっと、多くの先生は、そのような子どもには、姿勢を正すように言い、子どもは渋々姿勢を正しますが、実はその後、話は頭に入っていない。こういうことが、少なからずあると思います。
見てくれが悪いのですが、しっかり聞いているのと、見てくれはいいのですが、全然聞いていない。これは、いったい、どちらがいいのでしょうか?

ここで私の意見を言うのは控えますが、
教育には様々なアプローチがあり得るということです。
つまり、今現在、日本の多くの学校で行われている教育が、唯一の教育のやり方ではないということです。(もちろん、日本の中でも違いがあることは承知しています。)

しかし、私はここデンマークに来るまで、そういう想いを抱くことはありませんでした。
日本の教育が"あたりまえ"になり過ぎていて、そこに疑問を抱く余地すらありませんでした。

この変化の激しい時代、ましてや、いじめや不登校など様々な教育問題が起こっている日本において、そこに「?」を抱いていくことは、大切なことだと思います。それはなぜかというと、そのような様々な諸問題は、"あたりまえ"と思ってやってきた日本の教育に、変えた方が良いことが含まれている可能性が高いからです。

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長くなりましたが、
私が、ここデンマークに来て感じた、そのような教育についての大局観を、スカイプを通して、日本の先生たちに紹介、交流ができた事は、私にとっても、日本の先生たちにとっても有益な事だったと思います。

日本を出ることの意義の一つは、「比べる」作業にあると思います。
私たちが、日本の中にいて"あたりまえ""疑問を抱く余地すらない"ことについて、「比べる」ことを通して、そこに疑問「?」を抱き、より良いものは何なのかを追求することは、繰り返しますが、今の日本にとって必要なことだと思います。

これまで、"日本"という国について考えることなんてなかった私が、デンマークにほぼ一年暮らした今、"日本"という国に愛情を抱き、どうしたら、よりより日本になるのだろうと模索していることに、自分自身驚いています。

そして、同時に、私のように、日本を出ることによって、逆に日本について考える人々が増えることを期待するばかりです。


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