Interview

自分に​適した​働き方に​出会えたそれが​最大の​成果です。

建築デザイナー

山田芽里さんMeri Yamada

建築デザイナーが​フィンランドの​事務所で​インターン。​帰国後も​リモートで​現地案件を​継続。

研修国
フィンランド
プログラム
ワーク&カルチャーインターン
期間
1年3ヶ月
山田芽里さん
「自分は​これで​良いのか?」と​思った​こともありました。​海外インターンを​経た​今​「自分は​これで​良いのだ」と、​心から​思っています。

1年が​過ぎるのは​あっと​いう間。​今年も​クリスマスシーズンが​やって​来ました。​そこで​今回は、​サンタクロースの​故郷フィンランドで​”自分の​理想の​生き方”に​出会った​人を​ご紹介します。​建築デザイナーの​山田芽里さんです。

私たちが​懇意に​している​国際研修団体”インターナショナル・インターンシップ・​プログラムス​(以下​IIP)”の​プログラム運営責任者、​栗林央さんが​教えてくれました。​「フィンランドの​建築事務所で​インターンを​した​人が​いますよ」。​建築と​いえば​イタリアや​フランスを​イメージする​知識の​乏しい​私たちに​とって、​フィンランドで​建築を​学ぶと​いう​体験が​新鮮に​感じました。

しかも​それだけではありません。​現地インターンを​通じて​建築を​学んだ​山田さんは、​日本に​帰国後、​何と​リモートで​フィンランドに​ある​建築事務所の​仕事を​請け負っていると​いうのです。​メールなど​言語同断、​FAXすら​禁止して​「図面は​必ずここに​持って​来い」と​命じる​人が​いると​聞く​ほど、​顔と​顔、​膝と​膝を​突き合わせる​ことを​重要視する​業界に​おいて、​非常に​珍しい​働き方を​されていると​思いました。​しかも国を​跨ぎ、​海を​越えて・・・

フィンランドと​建築、​建築と​リモートワーク – いずれも​一般的な​イメージには​当ては​まらない、​ゆえに​興味を​思い切り​掻き立てられた​私たちは、​山田さん​お気に入りの​場所で​お話を​聞きました。

住宅展示場が​我が​家の​遊び場

私は​2023年10月から​1年3ヵ月間、​フィンランドに​ある​建築設計事務所で​インターンを​しました。​現在は、​その​事務所とは​別の、​現地の​建築事務所と​契約し、​日本に​いながら​案件を​請け負う​建築デザイナーと​して​活動。​西アフリカの​観光地に​ある​宿泊施設や​スタッフ用の​施設の​設計を​手伝っています。

私の​建築への​興味は、​親に​連れられて​住宅展示場に​行ったり、​親と​一緒に​”お宅訪問”のような​テレビ番組を​見たりする​うちに、​少し​ずつ芽生えた​感じです。​私が​幼少時代から​住んでいる​実家も、​親が​徹底的に​探して​決めました。​注文住宅とは​いえ、​自分たちの​こだわりが​その​設計に​反映されているし、​そこに​引っ越した​後も、​結局​住宅展示場に​通っている​(笑)​そんな​両親のもとで​育ちました。

海外の​友が​くれた​”​人生の​ヒント”

高校の​部活の​合宿で​宿泊した​時の​こと。​就寝する​とき、​ふと​天井の​梁を​目に​した​瞬間​「私、​建築を​やりたいかも」と​思いました。​ただ​私は​もともと​理数系志望ではなかった​ため、​文系の​大学に​進学し、​国際社会学を​専攻。​中学3年の​夏休みに​家族と​一緒に​1ヶ月過ごした​タイや、​昔から​見ていた​NHKの​『フルハウス』などを​通じて、​海外にも​興味を​持っていたのです。

やがて​留学に​関心を​持ちました。​特に​アジアと​ヨーロッパの​文化が​交わる​トルコに​惹かれ、​大学3年時に​イスタンブールの​協定校へ​約4ヶ月半留学しました。

帰国後は​就職を​考えましたが、​専攻と​関係の​ない​業種に​進む傾向が​ある​文系の​就職状況に​違和感を​覚え​「自分の​学びを​活かした​仕事を​したい」と​考えるように。​そこで​再び考えたのが、​建築でした。​トルコ留学時代に​出会った​フィンランド人から​「海外では​専攻を​変える​ことが​よく​ある」と​聞いたことが、​その​引き金と​なりました。

その​人を​訪ねて​初めて​フィンランドを​訪れ、​首都ヘルシンキの​街が​好きに​なりました。​ミニマムで​洗練されつつも​温かい​雰囲気、​その​中に​溶け込むアートや​カフェ。​また​西ヨーロッパの​建物とは​異なる​ロシアからの​影響を​受けた​色合いや​装飾、​そして​夏の​終わりの​メランコリックな​空。​実は​この​時の​旅では、​ドイツや​オランダと​いった、​トルコ留学で​会った​他の​留学生の​出身国へも​行きましたが、​私の​感性に​いちばんしっくり来たのは​フィンランド、​中でも​ヘルシンキでした。

奨学金を​得て​理系大学の​建築学科に​編入し、​2年次から​再スタート。​自分の​選んだ道に​迷いを​感じる​時期も​ありましたが、​ヨーロッパ建築、​とりわけ北欧や​英国の​住宅の​背景に​流れる​歴史を​学ぶうち、​新しく​建物を​建てるよりも、​歴史ある​住宅を​改築する、​いわゆる​リノベーションに​魅力を​感じるように。​その​テーマで​私は​卒業設計に​取り組み、​無事卒業しましたが、​大学2年から​建築を​学び始めた​ことから​感じた​物足りなさから、​卒業後は​同じ​大学の​大学院へ。​研究テーマは、​もちろんリノベーションでした。

四度目の​正直

修士課程修了を​前に、​興味の​ある​数社に​応募しながら​論文執筆と​設計を​並行。​アルバイト先の​設計会社で​経験を​積みつつ、​ポートフォリオを​磨きました。​そして​大学院修了後、​再びフィンランドを​訪れた​時​「ここで​何かを​学びたい」と​強く​感じました。​初めての​フィンランド旅行で​お世話に​なった​友人は、​ヘルシンキ都心から​バスや​トラムで​20~30分​離れた​緑豊かな​地域に​引っ越していましたが、​その​付近の​アパートや​住宅を​見ながら​散歩していた​とき​「次に​ここに​来る​ときは、​長期滞在して​フィンランドの​建築や​住宅、​住環境を​学びたい」と​いう​思いが​湧いてきたのです。

帰国後、​理系大学時代の​先生の​紹介で、​著名な​建築家である​前川國男氏の​お弟子さんが​率いる​建築事務所に​入社。​住宅や​保育所、​美術館、​小学校など​幅広い​建築に​携わり、​特に​住宅兼事務所プロジェクトでは、​コンクリート建築でありながらも​途中で​一部を​木造に​変えたりと、​リノベーション的な​要素も​多く​学びが​ありました。​様々な​案件で​設計から​監理までの​一連の​工程を​経験し、​約8年間勤めた​後​「建築は​学びきった」と​感じました。

その​時、​もともと​ドラマなどで​強く​興味を​持っていた、​海外の​ライフスタイルを​学ぶために、​フィンランド行きを​決意。​ただの​旅行ではなく、​海外で​働いたり、​勉強したりしたいと​考え”北欧””建築””インターン”と​検索。​そこで​トップに​表れたのが​”IIP”と​いう​団体でした。​そのような​経緯で、​実は​入社間も​ない​頃に​IIPさんを​訪問していました。​しかし​当時は​「まだ​建築を​十分には​学んでいない」と​思い断念していたのです。

一方で、​私は​自力で​現地の​建築事務所に​応募する​ことを​考えました。​しかし、​あらかじめ決まっている、​信頼し得る​場所で​研修を​受ける​方が​自分の​性格に​合い、​結果と​して​質の​良い​体験や​出会いに​恵まれるのではないかと​思い、​IIPさんの​お世話に​なることにしました。

研修先が​決まり、​渡航に​向けて​準備していた​2022年。​美術館リノベーション案件が​舞い​込んだ​ため、​IIPの​研修​プログラム責任者である​栗林さんを​通じて​研修先に​事情を​伝え、​出発を​延期。​「ここまでは​関わろう」と​考えていた​工程を​終えた​段階で​退社し、​2023年10月に​フィンランドへ。​実に​4度目の​現地渡航でした。

家族が​大事 ​私は​孤独

私の​研修先は、​ヘルシンキに​ある​小さな​建築事務所。​人の​生活に​寄り​添った​スケールで​つくられた​建築を​中心に、​空間の​心地良さや​細部の​デザインを​大切に​して​設計を​している​事務所を​希望していた​私の​志向に​ぴたりと​ハマりました。​しかも、​そこは​2022年に​行く​予定だった​ところで、​仕事の​都合で​渡航を​延期した​私を、​1年も​待ってくれたのです。

山田さんがインターンした建築事務所。(左)事務所内でもキャンドルで冬の暗さを暖かく照らす工夫が施されていた。(右)担当していたプロジェクトのワークショップに向けた準備の様子。
*写真提供:山田芽里さん
山田さんが​インターンした​建築事務所。​(左)​事務所内でも​キャンドルで​冬の​暗さを​暖かく​照らす工夫が​施されていた。​(右)​担当していた​プロジェクトの​ワークショップに​向けた​準備の​様子。
*写真提供:山田芽里さん

事務所では​私以外​ほぼ全員フィンランド人だったので、​私と​英語で​話す以外は、​みんな​フィンランド語で​会話を​していました。​私も​その​方が​気楽でした​(笑)​所長を​含め事務所には​女性が​多く、​男性は​一人だけ。​しかも、​その​人も​私と​同じ​外国人でした。​私は​そこで、​サスティナブルな​標準住宅​(※​大きさや​型が​決まっており、​間取りや​窓の​大きさ、​位置が​変更出来る​住宅)の​開発プロジェクトや、​農家の​リトリート改修​(※農家の​母屋や​納屋の、​趣味を​楽しんだりリラックスしたりできる​宿泊施設への​改修)、​サウナ施設や​住宅、​別荘などの​設計および施工監理に​携わりました。

終業の​17時に​なると​皆いっせいに​帰宅します。​家族を​大事にし、​独身でも​仕事以外の​プライベートを​大事に​する​フィンランドの​文化では​当たり前の​ことだし、​私も​好感を​持っていました。​でも​一方で、​交流を​深める​ために​飲みに​行くと​いった​機会は​ほとんど​ありません。​研修が​始まってから​数か​月経った​頃、​事務所内で​唯一の​独身の​女の​子が、​私を​近くの​海や​サウナに​連れて​行ってくれました。​慣れない​環境の​中で​彼女と​時間を​共有できた​ことは、​研修生活の​中で​人の​温かみを​感じる​ことが​できた、​大切な​思い出と​なっています。

山田さんが同僚の女性と一緒に行った、ヘルシンキの中心部周辺にある海岸。夏はここで仕事帰りに海水浴を楽しんでいたそう。
*写真提供:山田芽里さん
山田さんが​同僚の​女性と​一緒に​行った、​ヘルシンキの​中心部周辺に​ある​海岸。​夏は​ここで​仕事帰りに​海水浴を​楽しんでいたそう。
*写真提供:山田芽里さん
建築事務所の同僚たちとの夏の旅行。(左)島へ行き来するボートでの一コマ。(右)サウナコテージにて。フィンランドには無数の島があり、島々にコテージがあることも多い。
*写真提供:山田芽里さん
建築事務所の​同僚たちとの​夏の​旅行。​(左)​島へ​行き来する​ボートでの​一コマ。​(右)​サウナコテージにて。​フィンランドには​無数の​島が​あり、​島々に​コテージが​あることも​多い。
*写真提供:山田芽里さん

また​仕事も、​従業員を​大事に​する​あまり、​無給の​私には​あまり​仕事を​振ってくれませんでした。​フィンランドには​無給で​働く​文化は​無いので、​インターンの​私に​仕事を​振りに​くかったのかもしれません。​一方で、​私が​関わっていた​プロジェクトで、​上司と​打ち合わせできる​タイミングを​待ち​「ようやく​その​時が​来た!」と​思った​矢先に​「子どもの​ご飯を​作る​ために​帰らなきゃ!」と​言われ、​仕事が​進まず​歯が​ゆい​思いを​した​こともありました。​しかも​私は、​遅くまで​働く​日本での​習慣が​沁みついていた​ことや、​CAD​(※Computer Aided Design:コンピュータを​用いて​製品や​建築物の​設計および製図を​行う​支援ツール)の​ライセンスが​従業員優先で​日中​使えかった​ことから、​社員全員が​帰った​後、​一人事務所に​残って​作業した​こともありました。

研修が​終わった​あと、​フィンランドに​残る​可能性を​模索して​現地で​職探しを​する​計画を​立てていましたが、​現地で​知り合った、​ワーキングホリデーで​フィンランドに​来た​日本人女性が、​不況の​ために​就労先を​見つける​ことに​苦労している​姿を​見て、​怖気づいてしまいました。

ただ、​この​事務所に​就職したいと​いう​考えも​ありませんでした。​IIPさんを​経由して​見つけた​研修先だった​ため、​そこに​就労の​お願いを​するのは​ルール違反だと​思い込んでいたのです。

しかし、​この​事務所で​私が​関わった​プロジェクトでの​上司だった​建築家と​仕事を​する​中で、​彼女の​設計する​建物の​素敵さに​惹かれました。​しかも​彼女が、​仕事と​家庭を​両立させた​ライフスタイルを​歩まれている​女性であることに​尊敬の​念を​抱き​「この​人のもとで​働きたいな」と​思うようになったのです。​さらに​現地で​知り合った、​当時すでに​約10年ほど​フィンランドで​暮らし働いていた​日本人の​方からも​「すでに​あなたの​ことを​知ってくれている​フィンランド人の​方なのだから、​そこで​働けるか​聞いてみたら?」と、​私の​背中を​押してくれました。

必死で​つかんだ”​2ヶ月の​就職”

間も​なく​研修期間が​終わりを​迎える、​2024年夏。​「ここに​就職させていただけませんか?」と、​思い切って​事務所に​メールで​聞いてみました。​すると​「2ヶ月なら​OK」と。​「本当は​1年くらいいたかったんだけど・・・」と​いう​ちょっぴり​残念な​思いと​「でも​精一杯​私の​願いに​応えてくれたんだ」と​いう​感謝が​入り​交じった​複雑な​心境でした。

しかし​正式に​雇用が​決まるまで、​フィンランド人からの​募集が​無いか、​2週間の​確認作業が​必要との​こと。​たった​2ヶ月間​私を​雇う​ために、​面倒な​プロセスを​踏んで​ほしくない。​いっそ丁寧に​お断りして、​日本に​帰国するか・・・そう​思いかけた​私を​よそに、​所長は​社員たちに​「メリは​これから​もう​2ヶ月、​ここに​います」と​伝えたのです。​結果的に​私は​2ヶ月間の​就労ビザを​取得しました。

私は​2ヶ月間、​現地の​法律で​定められた​最低賃金で​勤務しました。​それでも​もっと​ここで​働きたいと​思い、​事務所に​ビザの​延長を​願い​出ましたが、​それは​認められませんでした。

知人から​「2ヵ月の​就労期間中に​職を​探したら?」と​言われましたが、​仕事と​並行に​行う​ことは​なかなか​難しい・・・​そこへ​事務所長さんが​私に​言いました。​「フィンランドで​働いたり​暮らしたりしたければ、​観光ビザに​切り​替わってからも、​このまま​ここに​滞在して​就職活動すれば?」。​その​言葉に​押されて、​私は​次の​機会を​伺う​ために​ポートフォリオを​準備。​就労ビザが​切れた​後も、​観光者の​身分で​職探しを​する​ことにしました。

しかし、​それでも​3ヶ月程度しかフィンランドに​いられない​ことを​考え、​私は​一旦日本へ。​それは、​再び挑戦する​力を​貯える​ための​帰国でした。

クリスマスが​くれた​想定外の​チャンス

2024年の​末に​行うはずだった​ピックヨウル​(Pikkujoulu:フィンランド語で​”小さな​クリスマス”)。​日本の​忘年会に​あたる​クリスマス会が​延期と​なり、​やがて​日本に​帰国していた​私に​「1泊2日の​リトリート旅行​(※休息の​ための​旅行)に​行くけど、​あなたも​来る?」と​事務所から​連絡が​ありました。​今年​(2025年)​4月の​ことです。​私自身、​冬が​明けて​春が​来たら​再びフィンランドに​戻る​つもりで​いたので​「行きますよ!」と​伝えました。

現地に​渡り、​ピックヨウルに​参加。​そこには、​私が​勤務していた​事務所の​所長の​幼馴染の​男性が​来ていました。​同じく​建築に​従事している​人でしたが、​私は​彼に​挨拶した​程度で、​それ以上は​特に​会話を​交わしませんでした。

その​後、​みんなで​サウナへ。​併設の​プールで​一息ついていた​時、​その​男性と​少し​話しました。​自分が​現在仕事を​探している​ことや、​自分の​日本での​経験を​伝えた​程度です。​その後の​夕食でも、​お酒を​飲む​人同士で​ワインで​乾杯。​懐かしの​同僚たちと​楽しい​時間を​過ごして、​再び日本に​帰国してから​また​仕事を​探そう・・・

そう​思っていた​矢先、​日本に​帰国する​わずか​一週間前、​事務所長の​幼馴染から​「2~3週間の​仕事が​ある」と​連絡を​いただいたのです。​これは​推測ですが、​彼の​プロジェクトの​進み具合が​遅れていた​こと、​さらに​「外国人だから​フィンランド人よりも​安く​雇えそう」と​いう​理由も​あったかもしれません。​それが​彼の​幼馴染が​経営する​事務所だった​こと、​日本人に​対する​信頼性と​いった​ものが、​彼を​動かしたのではないでしょうか。

こうして​私は、​アフリカを​訪れる​観光客の​ための​宿泊施設プロジェクトに​参加。​私の​任務は、​アイデアを​話し合いながら​図面と​3Dモデルを​作成する​ことでした。​その​チャンスに​ワクワクするも、​観光ビザで​フィンランドに​滞在する​身分。​現地で​一切の​仕事は​できないし、​日本帰国の​日も​迫っていました。​彼は​熟慮の​末、​私に​外注すると​いう​策を​編み出しました。​しかも​私は​フィンランドではなく、​日本に​いながら、​リモートで​仕事を​請け負うことに。​現場作業が​多く、​対面での​コミュニケーションを​重要視する​建築分野でも、​リモートは​珍しくなくなっていました。​しかし​国を​超えての​リモート作業や、​会社に​属さず​仕事を​外注で​請け負う​ことは、​私自身全く​想像していませんでした。

きっと​たどり着ける​よ 自分らしい​キャリアと​生き方

様々な​要素を​まとめて​仕事を​進める​ことができるのが、​いわゆる​優秀な​建築士であるなら、​そうなれない​自分​自身に​対して​「本当に​私は​建築に​向いているのだろうか?」と​悩んだこともありました。​でも​一方で、​私は​キャリアアップよりも、​今までの​経験を​活かしながら、​素敵な​建築や​空間を​つくる​仕事に​携わる​ことを​大切に​しています。​優秀な​建築士を​支える​存在で​いよう、​でも​日本の​労働環境は​息苦しい​ – ​そんな​私に​とって、​フィンランドの​優秀な​建築士の​補佐と​して、​リモートで​働いていると​いう​環境は、​とても​合っていると​思います。​しかも、​現地事務所に​勤務していた​頃よりも​良い​報酬で。

自分​自身を​受け入れる​ことができ、​自分に​適した​働き方に​出会えた​ – それこそが、​インターンシップの​最大の​成果だと​確信しています。

著名な​建築士に​なることに​興味は​ありません。​それよりも、​自分に​とって​心地よい​人間関係に​身を​置き、​仕事と​プライベートの​バランスを​取りながら​生活していきたい。​さらに、​私が​子どもの​頃に​見た​『フルハウス』のような​住環境を​日本にも​海外にも​持てたら、​もう​何も​言う​ことは​ないですね​(笑)

私は​キャリアを​積んでから​インターンに​挑戦しました。​若い頃に​海外に​飛び出していたら、​語学スキルは​もっと​上がっていたかもしれません。​でも​職務経験が​あったからこそ、​現地で​それを​活かしたり、​スキルを​吸収したりする​ことが​できたのだと​思います。

武相荘にて
武相荘にて
世間体に​振り回されず、​自分の​興味や​想いを​大切に​して​動いていけば、​きっと​自分に​合った​道や​生き方が​見つかるはず。​年齢も​気に​する​必要は​ありません。​自分に​嘘を​つかず、​思うままに​生きてほしいと​思いますね。

出典:My Eyes Tokyo​(インタビュー&構成:徳橋功)

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