Interview

生徒の​取り組みを​褒める​ことが、大きな​モチベーションに​なる。

数学科教員​(中高一貫女子校)

斉藤翔平さんShohei Saito

数学教員が​語学研修+フィンランド教育研修へ。​努力を​褒め、​成長を​可視化する​教育観を​得た。

研修国
イギリス/フィンランド
プログラム
海外教育研修​プログラム​(3ヶ月語学研修付き)
期間
約9ヶ月
斉藤翔平さん
努力を​褒めて​成長を​見える​化し、​生徒たちの​モチベーションを​上げる​ – 海外での​経験が​くれた​私の​新たな​ミッションです。

寒さが​緩み、​桜舞い​散る​春が​やってきました。​そこで​私たちは、​再び季節を​冬に​戻したいと​思います​(笑)​北緯60度の​極北、​氷点下が​平常運転と​いう​フィンランドに​教育研修で​赴いた、​数学科教員の​斉藤翔平さんです。

斉藤さんとは、​私たちが​その​理念や​活動内容に​共感する​国際研修団体”インターナショナル・インターンシップ・​プログラムス”​(以下​IIP)の​事前説明会を​お手伝いした​時に​お会いしました。​ご出発前、​やや​不安と​緊張の​面持ちを​した​斉藤さんが、​現地で​充実した​経験を​得て​こられる​ことを、​私たちは​願っていました。

それから​約1年。​私たちは​同じく​IIPの​事前説明会で、​日本に​帰国した​斉藤さんに​再会しました。​私たちが​お会いした、​海外研修を​経験した​人たちの​中で、​初めて​Beforeと​Afterの​両方を​拝見した​事例。​前に​お会いした​時とは​打って​変わって​溌剌とした​表情を​浮かべる​斉藤さんに、​現地での​研修内容と​その​収穫を、​彼の​歩んできた​人生や​キャリアと​重ねながら​お聞きしました。

未知の​教育を​求めて

私は​現在、​都内の​中高一貫の​女子校で​数学科の​教員を​しています。​これまで​約15年教えてきました。​また​進路指導部の​副部長も​務めており、​海外研修に​参加する​前に​約5年経験しました。

私は​元々、​海外の​数学教育に​興味が​ありました。​その​レベルが​高い​国々を​調べてみたら、​フィンランドや​他の​北欧の​国、​オーストラリアなどが​毎年​ほぼ​必ずランクイン。​ただ​オーストラリアには、​すでに​生徒の​引率で​行った​ことが​あり、​数学の​授業も​見たことがありました。​そこで、​まだ​行った​ことの​ない​場所と​いう​ことで​フィンランドを​選びました。

しかし​理由は、​それだけではありません。

フィンランドで​生徒たちの​学力が​下がっている​ことを​耳に​したのです。​光が​当てられている​部分だけでなく、​陰に​ついても​視察できればと​思い、​私は​フィンランド行きを​決めました。

とは​いえ、​私は​英語の​会話力に​自信が​持てず、​勤務先の​ALT​(Assistant Language Teacher:外国語指導助手)​たちや、​海外から​学びに​来る​留学生と​会話する​ことを​避けていた​ほど。​そんな​私に​根付いていた​苦手意識を​克服してから​現地に​行く​ことを​考えました。

そんな​ある​日、​私は​偶然オンラインで、​ある​学校研修​プログラムを​見つけました。​ロンドンでの​3ヶ月間の​語学研修つき – 私は​強く​興味を​持ちました。​英語の​本場で​語学力を​磨いた後、​私は​半年の​フィンランドでの​教育研修に​臨みました。

三度目で​つかんだ​教壇

そもそも​私が​教員を​目指した​きっかけは、​中学生の​ときに​出会った​数学の​先生です。​ユーモアあ​ふれる​語り口調で​進める​授業の​おかげで、​私は​すっかり​数学に​魅了されたのです。​「自分も​同じように、​数学が​好きに​なる​子たちが​増えるような​先生に​なりたい」と​思うようになりました。

その後​大学や​大学院で​数学を​学びながら​教員を​目指しました。​当時チューター​(受験生たちの​メンター的存在)と​して​アルバイト勤務していた​予備校で、​今勤務している​学校を​知り、​大学院生の​時に​非常勤講師と​して​働き始めました。

そして​正規採用に​挑戦。​非常勤講師と​して​勤務していたから、​当然簡単に​受かるでしょう​ – いえ、​実際は​2度も​不合格を​喫したのです。​すでに​内定を​いただいていた​学校に​行くことも、​一度は​考えました。​それでも​3度目の​採用試験に​挑み、​ようやく​採用されました。

以来、​教員と​して​数学を​教える​こと​約15年。​黒板に​板書して​説明したり、​生徒たちに​練習問題を​解かせたりする​授業が​中心に​なりがちに​なる中、​ICT​(※Information and Communication Technology:情報通信技術)の​活用や​評価方法の​変化など、​国その​ものの​教育の​仕組みが​変わってきました。​自分も​独自の​新しい​授業の​形を​見つけ、​それを​取り入れられる​ほどの​柔軟性を​持つ​人間に​なりたいと​思うようになったのです。

でも​実際は、​過去の​やり方や​教科書の​内容に​授業形態が​引っ張られてしまい、​忙しさも​あって​新しい​授業を​じっくり​考える​時間が​取れず、​自分だからこそ​生徒たちに​提供できる​ことを​十分に​追究できていないと​いう​”モヤモヤ”が、​ずっと​私の​中にくすぶっていました。

生徒の​成長が​くれた​決意

一方、​学校を​取り巻く​環境も​大きく​変わりました。​私が​働き始めた​頃、​海外に​関する​行事は​2〜3週間の​語学研修程度でしたが、​全国的に​国際交流が​盛んになった​影響で、​勤務8年目頃から​我が​校でも​3か​月や​1年の​長期留学制度が​開始。​海外に​行く​生徒が​増えていきました。​短期でも​海外文化に​触れる​行事が​増える​中で、​自分も​教員と​して​国際的な​視野を​持つ​必要が​あるのではないかと​考えるようになりました。

何よりも、​海外に​行くのって​単純に​楽しい​(笑)​生徒たちが​外国で​さまざまな​経験を​している​様子を​見たり、​また​自分も​実際に​生徒たちを​アメリカや​オーストラリアに​引率して​現地の​空気に​触れる​楽しさを​感じ、​自分も​新しい​体験を​してみたいと​思うようになったのです。

2022年の​秋、​卒業生を​招いた​座談会が​学校で​開かれました。​そこに​参加した、​かつて​私が​6年間担任を​していた​生徒たちが、​海外経験を​後輩たちに​堂々と​話している​姿が​強く​印象に​残ったのです。​ちょうど​学校で​初めて​1年間の​長期留学制度が​始まった​頃に​海外に​行った、​私が​担任と​して​長らく​接してきた​生徒たち。​その​成長ぶりを​目の​当たりに​しました。

その​1ヶ月前に​生徒たちを​引率して​行った​オーストラリアでの​体験が​重なり​「海外で​学ぶ経験には​意味が​ある」と​実感。​また、​生徒たちが​海外で​学んでいる​一方で​自分が​その​経験を​知らない​ことに、​教員と​して​少し​悔しさを​感じていたのも​事実です。​それが、​私の​”海外に​行きたい​欲求”を​さらに​強くしました。

正直言って​私は、​学校で​仕事に​追われ、​仕事から​離れたいと​思った​こともありました。​自分が​6年間​受け持ってきた​生徒たちの​卒業を​見送った​時に​「その​タイミングが​来た!」と​思ったのです。

”話せない​”からの​脱却めざして

私は​”留学””教員”の​キーワードで​検索。​IIPさんの​名前が​上位に​表れました。​その​サイトを​覗いてみると、​体験談が​たくさん​載っており、​諸先輩方の​現地でのご体験が​イメージできました。

しかも​3か月の​語学研修付きの​コースも​ある!​英語に​自信が​なかった​私は、​その​情報に​飛びつきました。​さらに​”教員””フィンランド””英語研修”と​いう、​私の​要望を​すべて​満たす​プログラムの​内容が​具体的に​説明されていた​ことが​決め手と​なり、​私は​IIPさんの​海外研修​プログラムに​応募しました。

それから​約1年半が​経った​昨年​(2025年)​5月、​私は​未知の​世界への​一歩を​踏み出しました。

幼い​頃から​公文式などで​英語に​触れ、​大学時代には​TOEICも​受験。​しかし​会話に​ついては、​子ども​向け英会話教室に​通った​小学生時代以来、​長らく​話す機会が​なかった​ため​「知識は​あっても​話せない」​状態に​陥っていました。​そこで​出発前に​英会話スクールに​通い、​最上級レベルに​達した​ところで、​私は​ロンドンに​赴きました。

英語よりも​大きな​学び

日本での​努力が​実り、​私は​現地の​語学学校で​一番上の​”Advanced”クラスに​振り分けられました。

ただし​それは​「他の​生徒たちの​英語力も​すごく​高い」と​いう​こと。​最初は​彼らと​話すのに​苦労しました。​相手の​言っている​ことが​分かっても、​いざ自分で​何か​伝えようと​するも、​しどろも​どろに・・・

しかし​イギリス人の​先生に​英語を​習うと​いう​新鮮な​体験や、​ゲームなどを​取り入れた​楽しい​授業を​通し、​テストへの​プレッシャーも​ない​環境で​10代から​60代、​70代と​いう​幅広い​年齢層の​人たちとのびのびと​学ぶうち、​私は​文法を​あまり気に​せず話せるようになったのです。

クラスでは​ドイツや​スペイン、​イタリアなど​ヨーロッパを​中心に​世界中から​来た​学生と​出会い、​彼らとの​交流を​通じてさまざまな​文化に​触れる​ことができました。

さらに​ロンドンでは、​今後の​私の​教員人生を​も左右する、​とても​大きな​収穫を​しました。

それは​”生徒の​立場に​立った​”ことです。​先生に​褒められると、​やはりとても​嬉しい​ものだと​改めて​感じましたね。​しかもロンドンの​先生は、​リップサービスや​フィーリングで​褒めるのではなく、​発音や​ライティングの​向上などを​具体的に​評価してくれました。​そういう​経験を​して、​褒める​ことの​大切さを​強く​感じました。

こうして​語学研修を​終えて​フィンランドへ。​首都ヘルシンキから、​日本の​新幹線に​相当する​列車で​4時間ほど​北上した​クオピオと​いう​街に​ある​高校に​赴任しました。

卓球台やビリヤード台が高校の玄関でお出迎え。写真には写っていないがプレイステーションも置いてあるそう。
写真提供:斉藤翔平さん
卓球台や​ビリヤード台が​高校の​玄関で​お出迎え。​写真には​写っていないが​プレイステーションも​置いてある​そう。
写真提供:斉藤翔平さん

エナドリ並ぶ​静かな​教室

生徒数約600人の​その​高校での、​研修初日の​自己紹介。​大部分を​英語でさせていただきながらも、​最初と​最後に​フィンランド語を​少し​使いました。​それだけでも​先生たちからの​反応が​とても​良く、​彼らとの​距離が​一気に​近づいた​気が​しました。

そして、​いざ教室へ。​クラスの​扉を​開くと、​あらゆる​面で​私の​勤務校と​違う​光景が​広がっていました。

制服は​なく、​生徒は​皆思い​思いの​ファッション。​しかも​気温が​氷点下20度に​達する​冬でもへ​そ出しで​登校する​生徒も​いた​ほど​(笑)​細かいルールは​ほとんど​無く、​強いて​挙げれば​「授業中は​スマホを​鞄に​しまう」​「キツい​匂いの​香水を​つけて​登校しない」くらいでした。

そして​机を​見ると、​多くの​生徒が​エナジードリンクを​置いていました。​しかも​置かれている​飲み物が、​全て​エナジードリンクだったのです。​その​理由は​特に​なく、​単に​「好きだから」。​それを​飲みながら​生徒たちは​授業を​受けていましたが、​先生は​特に​何も​言いません。​本音では​カフェイン摂取量が​増える​ことを​懸念している​様子でしたが、​校内の​自販機で​購入できるし、​地元の​スーパーには​たくさんの​種類の​エナジードリンクが​並んでいました。

また、​フィンランドの​人たちは​あまり​積極的に​話しかけてくる​タイプではなく、​特に​生徒には​こちらから​声を​かける​必要が​ありました。​も​しかしたら、​私が​教員でも​生徒でもない​微妙な​立場だったからかもしれません。​しかし​彼らが​フィンランド語で​おしゃべりしている​ところに、​英語で​声を​かける​ことに​躊躇しました。​ただ​話しかければ、​皆とても​親切に​対応してくれましたね。

元々、​フィンランドの​人たちは​とても​大人しい。​電車や​バスの​中も​とても​静かですし、​高校生も​学校では​あまり​騒ぎません。​先生の​声も​小さい​くらい​(笑)​でも​教室が​静かなので、​ちゃんと​聞こえます。

高校の教室。天井から伸びるパイプにケーブルジャックが複数あり、生徒がパソコンを接続できる。
写真提供:斉藤翔平さん
高校の​教室。​天井から​伸びる​パイプに​ケーブルジャックが​複数あり、​生徒が​パソコンを​接続できる。
写真提供:斉藤翔平さん

折り紙で​つながる・・・でも​ちょっと​違う

私が​日本文化の​授業を​担当した​初日。​まずは​日本と​フィンランドの​比較から​始めました。

国土面積が​ほぼ同じでも、​人口規模は​フィンランドの​約20倍を​誇る​日本。​東京の​通勤ラッシュや​渋谷駅ハチ公口の​交差点の​写真、​東京の​鉄道路線図などを​見せました。​また​和食文化を​伝えると​共に、​日本には​世界中の​料理が​あふれ、​しかも​それらを​日本風に​アレンジする​文化が​ある​こと、​生卵を​食べる​習慣などを​紹介しました。​一方、​世界中に​ファンが​いる​日本の​アニメに​ついては、​生徒たちに​浸透している​印象は​ありませんでした。

東京の鉄道網について説明する斉藤さん
写真提供:斉藤翔平さん
東京の​鉄道網に​ついて​説明する​斉藤さん
写真提供:斉藤翔平さん

そして​日本文化の​ワークショップ。​実は​昨年まで、​現地に​住む日本人女性が​その​学校で​日本語や​日本文化を​教えられていました。​その​ため職員室の​棚には​折り紙や​書道の​道具、​さらに​着物まで​保管されていました。

その​先生と​共に​日本文化を​生徒に​教えた​経験を​持つ学校側から​リクエストを​いただいたのが、​折り紙体験でした。​私自身も​得意ではないので​事前に​YouTubeで​折り方を​確認し、​英語で​説明できるよう​準備しました。​簡単で​見た目が​きれいな​ものとして​蓮の​花を​選択。​作りやすく、​多くの​生徒たちが​上手に​折れた​ことに​喜んでいました。

一方、​鶴は​とても​美しいですが​手順が​多く、​私が​全ての​工程ごとに​折った​ものを​並べて​見せた​ものの、​折り方が​分からなくなる​生徒が​少なく​ありませんでした。​金銀の​紙や​千代紙も​用意しましたが、​意外にも​赤や​緑など​シンプルな​色が​人気。​も​しかしたら​大人に​なりかけの​高校生だからかもしれません​(笑)

KFCと​ローストポーク

授業で​一番盛り​上がったのは、​宗教や​文化に​ついての​ディスカッションでした。​初詣や​お盆、​夏祭りなど​神道や​仏教の​行事を​伝える​一方、​バレンタインや​クリスマスなど​西洋から​来た​習慣は、​宗教行事と​いうよりも​楽しい​イベントと​して​行われている​ことも​話しました。​ただ、​フィンランド人も​決して​熱心な​クリスチャンと​いう​印象は​なく、​教会にも​クリスマスの​時だけ​行く​人が​大半で、​初詣で​お寺や​神社に​行く​私たちの​姿と​重なりました。

話題が​クリスマスに​及んだ​ところで、​私は​生徒たちに​「日本での​クリスマスディナーは​何でしょう?」と​いう​クイズを​出しました。​私が​用意していた​答えは​”KFCの​フライドチキン”。​ほとんどの​生徒が​分からず、​中には​「魚」と​いう​答えも。​でも​たった​一人だけ、​それを​知っていた​生徒が​いました。

一方フィンランドでは、​クリスマスには​ターキーではなく​ローストポークを​食べるのだとか。​そんな​お互いの​食文化に​ついて​話し合ったのが​とても​面白かったですね。​他に​日本の​食文化では、​寿司が​彼らの​間で​よく​知られていましたが、​ネタの​主流は​マグロである​ことは​あまり​知られていませんでした。​現地の​寿司の​ネタは、​主に​サーモンですから。

「ダメ」と​言わない​教室

日本と​フィンランドの​違いと​して、​もう​ひとつ​印象的だったのは、​日本が​”規律”を​重視する​文化を​持つのに​対し、​フィンランドは​自分と​相手の​”尊厳”を​尊重する​文化を​持つ​ことでした。

結果と​して​両者は​同じ​行動を​取るのですが、​違反したら​罰せられる​ことを​前提に​ルールを​教えるのが​日本であるなら、​フィンランドでは​「自分が​やられたら​嫌な​ことは、​他の​人に​しない」。​問題が​起きた​場合でも、​その​発端と​なった​人を​強く​叱るより、​本人の​改善を​信じる​姿勢が​見られました。​授業中に​タブレットを​使って​問題を​解かず​ゲームを​している​生徒が​いても、​先生は​「いずれ本人が​損を​するだけ」と、​強く​注意する​ことはしません。​そんな​ところからも、​先生と​生徒が​互いの​尊厳を​大切に​する​関係を​垣間​見ました。

それは、​コミュニケーションでの​マナーにも​表れている​気が​します。​生徒から​”​日本の​マナー”に​ついての​質問が​あり、​中でも​教員に​対して”○○先生”と​敬称を​付けて​呼ぶ​文化に​ついて、​相手が​目上の​人でも、​呼ぶ時に​ほぼ敬称を​使わない​フィンランドとの​違いに​興味を​持たれたのです。

実際に​私が​現地で​歯医者に​行った​時も、​スタッフさんから​単に​”Saito”と​呼ばれて、​戸惑いましたね​(笑)​それだけ現地では、​先生と​生徒、​医者と​患者の​間に​上下関係が​無く、​お互いが​お互いを​尊重し合っているのだと​思いました。

プロセスを​見つめ 成長が​見える​教室へ

いよいよ​最終日。​先生方への​ご挨拶を、​最初フィンランド語で​伝え、​最後も​フィンランド語で​「楽しかったです。​ありがとう​ございました」と​締めくくりました。​そして​今年​(2026年)​2月、​私は​日本に​戻ってきました。

小中学生よりも​大人と​いう​こともあり、​高校の​方が​活発さに​欠けたかもしれませんが、​研修で​様々な​文化や​教育の​在り方、​さらに​私の​目標である”ICTを​活用した​数学の​授業を​視察する​”と​いう​目的を​果たすことができました。

※現地の​数学の​授業に​ついて​斉藤さんが​抱いた​印象に​ついては​こちらを​ご覧ください​(英語)

海外研修の​経験を​通して​学んだ​こと​ – 数学教育の​あり方は​もちろんですが​「生徒に​とっては​自分の​取り組みを​褒めて​もらうことが​大きな​モチベーションに​なる」と、​私自身の​経験を​通して​感じられた​ことが、​最大の​学びです。​今後の​教師生活で、​私は​生徒が​何かに​取り組む​その​プロセスを​きちんと​褒める​ことを​意識していきたいと​思います。

結果、​つまり​点数だけでなく、​努力している​過程を​しっかりと​見て​評価する​ – ​その​姿勢こそが​大切だと​思います。​フィンランドでは、​生徒が​取り組んできたことに​ついての​記録が​きちんと​残る​仕組みが​あり、​結果だけでなく​プロセスに​対しても、​先生が​生徒に​フィードバックが​しやすくなっていました。

それを​日本でも​できるように​する​ためには、​生徒の​取り組みを​把握し、​先生だけでなく​生徒自身にも​見える​仕組みが​必要だと​感じています。​テストや​通知表など紙の​書類では、​それらを​保管しない​限り生徒は​過去の​成績を​振り返りにくいため、​ICTを​活用して​成長を​可視化すれば、​学習意欲の​向上に​つながると​思います。

生徒たちの​テストの​点数が​下がることも​当然​あるでしょう。​でも​難しい​課題に​挑戦した​結果であれば、​それも​成長の​一部です。​そうした​過程を​生徒自身が​実感できる​仕組みが​重要だと​感じました。

そして​今年4月、​私は​学校の​進路指導部の​部長に​就任します。​この​仕事にこそ、​私が​海外研修で​学んだ​ことを​活かしたい。​生徒の​これまでの​歩みや​取り組みが、​目に​見える​データと​して​蓄積され、​誰と​でも​共有できる​仕組みを​整えていきたいですね。

立ち止まる​ことも​ 前に​進む​一歩

それまで​順調に​歩んでいた​キャリアを、​一度​中断して​空白期間を​作る​ことに、​不安を​お持ちの​方も​いらっしゃると​思います。​でも​私自身は、​一旦職場を​離れた​ことで、​自分の​仕事を​客観的に​見つめ直し、​今後どう​働きたいかを​考える​時間を​持つことができました。

さらに​研修中は、​AIなどの​新しい​技術を​学ぶ​時間も​持てました。​忙しい​日常では​難しい​ことですが、​数か​月や​1年でも​余裕の​ある​時間を​持つことに​大きな​価値が​あると​思います。

しかもフィンランドでは、​英語に​比較的自信を​持って​話すことができました。​この​海外研修に​心底満足していますし、​私を​海外に​送り出してくれた​妻、​そして​学校に​心から​感謝しています。

写真提供:斉藤翔平さん
写真提供:斉藤翔平さん
海外に​行くことに​興味が​ありつつも、​キャリアを​一度​止める​ことに​不安が​あるなら、​現地で​学びたい​ことや​「学びを​通じて​自分が​どうなりたいのか」と​いう​ゴールを​考えてみる。​それらが​明確に​なったなら、​海外研修に​挑戦しても​良いのではないでしょうか。

出典:My Eyes Tokyo​(インタビュー&構成:徳橋功)

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