Interview

完璧な​準備よりも、まず​一歩​踏み出す​こと。親子で​成長できました。

英語教師・ミュージカル講師​(元劇団四季)

原 彩子さんAyako Hara

子ども​2人と​2週間カナダの​学校へ。​親子で​同じ​景色を​見て​成長を​実感した​2週間。

研修国
カナダ
プログラム
海外教育研修​プログラム​(親子参加)
期間
2週間
原 彩子さん
完璧な​準備は​必要ない。​勇気を​もって​一歩を​踏み出せば、​きっと​子ども​たちと​一緒に​成長を​感じる​瞬間が​待っています。
研修の写真

桜が​咲いては​散る、​春の​季節。​入学や​入社、​異動など、​新しい​道に​進まれた​方々も​いらっしゃる​ことと​思います。​そして​今回ご紹介する​方も、​海外研修を​経て​この​春、​新たな​目標に​向けて​歩き始めました。

原彩子さん。​今年​(2026年)​1月から​2月に​かけて、​カナダの​一貫校で​2週間、​お子さん​2人と​一緒に​教育研修に​参加しました。

これまで​私たちは、​海外研修に​参加した​多くの​人たちに​出会ってきました。​しかし​ご家族と​共に​現地での​学校生活に​飛び込んだ方は​初めて。​その​体験の​深さと​豊かさに、​私たちは​強く​惹かれました。

ユニークなのは、​かつての​原さんの​お仕事。​多彩な​分野で​活躍する​方々と​出会ってきた​私たちですが、​元ミュージカル俳優と​いう​ご経歴の​方は​ゼロ。​しかも、​あの​”劇団四季”の​ご出身です。

私たちの​目に、​華やかに​映る​ご経歴。​しかし​それは、​子ども​時代から​続く​自分探しの​旅の​末に、​原さんが​導かれた​もの。​そして​さらなる​喜びは、​”昔の​自分の​姿”である​子ども​たちと​たどり着いた​場所に​あったのです。

3足の​草鞋で​海を​渡る

私は​今年の​年明け、​カナダの​幼稚園~高校一貫校で​行われた​2週間の​教育研修に​参加しました。​しかも​2人の​子ども​たちと​一緒です。

これまで​フリーランスの​英語教師と​して​数年​活動してきましたが、​学校現場での​経験と​しては、​名古屋市内の​公立小学校で​1年間、​英語を​教えていた​ことがあります。

教員免許は、​大学生の​頃に​母の​勧めで​取得しました。​もともと​人に​何かを​教える​ことが​好きで、​大学での​教職課程や​教育実習を​通じて、​その​仕事が​自分に​合っていると​感じていました。

一方で、​大学1年生の​頃に​突然父を​亡くした​経験から​「人生は​一度きり。​後悔の​ないように、​好きな​ことに​挑戦しよう」と​強く​思うようになりました。​そこで​就職活動と​並行して、​劇団四季​(以下​“四季”)の​オーディションを​受験し、​幸運にも​一発合格。​プロの​ミュージカル俳優と​なったのです。

現在は​四季を​退団し、​ボイストレーナーと​して​ミュージカルスクールを​運営。​名古屋の​スタジオを​拠点に、​東京や​大阪でも​レッスンを​行っています。

上の​子が​小学校に​入学した​タイミングで、​名古屋市の​小学校でも​教員と​して​働きました。​大学卒業後すぐに​四季に​入団した​ため、​私の​中に​「教育現場での​経験を​積みたい」と​いう​思いがくすぶっていたのです。

そのような​折に、​勤務していた​小学校の​同僚から​ご紹介いただいたのが、​インターナショナル・インターンシップ・​プログラムス​(以下”IIP”)さんの​教育研修​プログラムでした。​私は​強い​興味を​抱いて​コンタクトを​取り、​資料を​取り寄せ、​その​後約3年に​わたり​担当の​方に​ご相談。​研修先の​選定を​経て​今年1月、​ついに​カナダへと​渡りました。

辛い​ことから​目を​背け ワクワクを​探し続けた​小学校生活

私は​4歳から​小学2年生までの​約4年間、​父の​仕事の​関係で​アメリカ・サンフランシスコで​過ごしました。​幼い​頃だった​こともあり、​言葉や​文化にも​自然に​なじみ、​現地での​生活を​楽しんでいました。

しかし​日本に​帰国後、​いわゆる​“逆カルチャーショック”を​経験。​完璧さを​求められる​ことや、​人目を​気に​する​風潮、​”みんなと​同じでなければならない”と​いう​同調圧力に​強い​違和感を​覚えたのです。

小学校では​周囲に​合わせながら​目立たないように​過ごし、​教室で​マンガを​描く​ことに​夢中に​なっていました。​好きな​ことに​没頭していると、​辛さも​少しは​和らぐ​ – ​そんな​感覚を​この​頃から​持っていた​気が​します。

そして​小学6年生の​時の​学芸会で​『は​だしの​ゲン』を​公演。​主人公ゲンの​母親役を​演じた​ことを​きっかけに、​私は​演じる​ことの​面白さに​目覚めます。​マンガよりも​直接的に​感情を​表現でき、​別の​自分に​なれる​演劇に、​雷に​撃たれたような​大きな​魅力を​感じました。

「明日は​来ないかもしれない」- 父の​死を​きっかけに​変わった​人生観

演劇への​憧れを​抱きながらも、​芸能​活動が​盛んではない​地域で​育った​私は、​中学では​卓球部、​高校では​コーラス部に​所属していました。​高校時代には​全国学校音楽コンクールや​世界合唱オリンピックで​金賞を​受賞すると​いう​貴重な​経験もしました。

その​コーラス部では、​毎年”卒業生を​送る​会”で​ミュージカル公演を​行っており、​高校2年の​時に​『ピーターパン』で​主役を​演じたことが、​その​先の​未来までも​私を​導いてくれました。

上智大学に​進学し、​念願だった​上京を​果たした​私は​「ミュージカル俳優に​なりたい」と​いう​夢に​向かって​進み始めます。​しかし​その​矢先、​私は​交通事故で​父を​突然​亡くしました。

「明日は​来ないかもしれない。​それなら​本当に​やりたい​ことを​やろう」と​決意し、​大学では​仲間と​ミュージカルサークルを​設立。​未経験から​始めた​サークルは、​毎年​2回公演を​行う​ほど​成長し、​後輩たちにも​受け継がれ、​2025年には​創立20周年を​迎えました。

そして​大学3年の​頃。​就職活動中に​観た​四季の​『ウィキッド』に​衝撃を​受け​「この​舞台に​立ちたい」と​強く​思うようになりました。​そこから​1年間猛特訓を​重ね、​オーディションに​挑戦。​奇跡の​一発合格を​果たした​私は​「一度きりの​人生で、​こんな​チャンスは​二度と​巡って​こないだろう」と​思い、​いただいていた​東京都の​英語科教員の​内定を​丁重に​辞退。​四季に​入団しました。

憧れだった​舞台の​世界は​想像以上に​厳しく​「明日クビに​なるかもしれない」と​いう​緊張感の​中、​自分の​髪の​毛一本さえも​自由に​できない​日々。​それでも​2年後、​ついに​悲願の​『ウィキッド』の​舞台に​立つことができました。​主要キャストではありませんでしたが、​存在感の​ある​役を​任されました。​夢の​舞台に​立てた時の​震えるような​喜びは​今でも​忘れられません。

悲願の舞台『ウィキッド』に立った原さん(写真左下)
提供:原彩子さん
悲願の​舞台『ウィキッド』に​立った​原さん​(写真左下)
提供:原彩子さん

その​後も​出演を​続けました。​しかし​父の​死を​きっかけに​舞台に​向かって​突き​進んできた​中、​掲げてきた​目標を​達成した​私に​「演劇と​教育の​両方を​生かしたい」と​いう​思いが​芽生えていきました。​調べる​うちに​“演劇教育”と​いう​分野が​ある​ことを​知り​「これこそ​自分が​進みたい​道だ」と​感じるようになったのです。​その​思いから、​私は​舞台を​降り、​四季を​去りました。

その後は​本格的に​海外に​渡り、​演劇教育を​学ぶための​準備を​進めました。​しかし​当時は、​親を​安心させたい​気持ちも​あり、​日本での​子育てを​優先する​道を​選びました。

その後、​約10年の​子育てと​ボイストレーナーと​しての​活動、​さらに​1年間の​教員経験を​経て、​私は​ついに​IIPさんの​”海外教育研修​プログラム”に​参加する​ことになりました。

探しものは​ 行動した​先に​ある

名古屋市内の​公立小学校で​生徒たちに​英語を​教えていた​頃、​同僚の​先生が​教えてくれた​IIP。​その​プログラムでは、​親は​日本文化を​紹介する​教師と​して​各クラスで​活動する​傍ら、​子どもも​同じ​学校で​学ばせていただける。​つまり​親子で​一緒に​現地生活を​体験できるのです。

数年前、​子ども​たちが​1週間の​サマースクールに​参加し、​私は​保護者と​して​付き添いました。​その​場所は​カナダ。​私が​幼少期に​アメリカで​感じた​自由さを、​子ども​たちにも​体験してほしいと​思ったのが​きっかけです。​でも​サマースクールの​後、​彼女たちが​頑張っている​間ただ​待つのではなく、​私自身も​一緒に​挑戦し、​成長していきたいと​いう​思いが​湧き上がりました。​この​IIPさんの​プログラムは、​そんな​私が​望んでいた​スタイルでした。

子ども​たちの​学校生活に​影響が​出ないよう長期休暇の​タイミングに​合わせ、​今年の​年明けから、​カナダ・アルバータ州に​ある​幼稚園から​高校までの​一貫校で​研修を​受ける​ことが​決まりました。

そして​出発の​日。​日本に​残る​夫に​手を​振りながら、​私は​子ども​たちに​「ママと​一緒に​頑張ろうね!」と​声を​かけ、​手を​取り合って​カナダへと​渡りました。

いよいよ親子でカナダへ出発!
提供:原彩子さん
いよいよ​親子で​カナダへ​出発!
提供:原彩子さん

半袖必須の​極寒の​地

アルバータ州の​州都エドモントンから​東へ​約2時間半。​ホストファミリーの​車で​雪の​中を​ひた走り、​たどり着いた​街が、​私たちの​新たな​舞台・ロイドミンスターでした。

提供:原彩子さん
提供:原彩子さん

冬は​マイナス30度 – 想像を​絶する​厳しい​寒さに​備えて、​私たちは​日本から​厚手の​服を​たくさん​持って行きました。

その​判断は​正しかったと、​外を​歩いている​時は​思いました。​ところが、​驚いたのは​屋内です。​どこへ​行っても​暑い​ほど​暖房が​効いており、​必要だったのは​むしろ​半袖の​Tシャツ。​街の​モールでは、​すれ違う​人たちの​ほとんどが​半袖姿でした​(笑)​服を​重ね着し、​室内では​脱いで​調整するのが、​現地での​冬の​過ごし方なのだと​学びましたね。

ホストファミリーは、​研修先の​校長先生の​ご家族。​その​ため、​とても​安心して​過ごすことができました。​朝は​6時40分頃に​子ども​たちを​起こし、​7時45分頃に​校長先生と​一緒に​学校へ​向かう。​そんな​私たちの​海外生活が​始まりました。

原さんが​派遣された​学校。​一面の​雪と、​冬の​デコレーションに​彩られた​教室が、​8,000キロ彼方から​やってきた​母と​子を​出迎えた。
提供:原彩子さん

登校拒否寸前

研修先は​幼稚園から​高校までの​一貫校で、​全校生徒は​約170名。​私たちが​学校に​着く​頃には、​まだ他の​子ども​たちは​来ていません。​我が​子たちは​それぞれ自分の​教室へ​行き、​私は​自分の​授業準備へ。​日本とは​違い、​学校全体に​どこか​ゆったりした​空気が​流れていました。

ただ、​最初から​順調だったわけではありません。​ 娘は​渡航前から​ある​程度英語を​理解できていましたが、​息子は​ほとんど​分からない​状態。​それも​あり新しい​環境への​不安が​とても​強く、​登校初日の​前夜から​「学校に​行きたくない」と​泣いていました。​翌朝も​不安そうな​表情で、​母と​しても​胸が​痛みました。

それでも、​学校の​先生方が、​温かな笑​顔で​迎えてくださったのです。​そして​教室に​入ると、​素朴で​明るい​クラスメイトたちが​自然に​”Hello!”。​中には​日本語で​”Konnichiwa​(こんにちは)​!”と​話しかけてくれる​子も​いました。​その​雰囲気に、​子ども​たちは​少し​ずつ​安心していったようです。

グレード1​(小1)の​息子の​クラスでは、​遊びや​工作を​取り入れながら​楽しく​学ぶ​一方で、​グレード4​(小4)の​娘の​クラスでは、​本を​読んだり​環境問題に​ついて​学んだりと、​比較的高度な​内容に​も​取り組んでいました。

授業中の​様子も​日本とは​かなり​異なり、​机の​上に​足を​置いている​生徒が​いたりと、​日本人の​感覚では​「信じられない!」と​感じる​場面も​ありました。​しかし​幼少期に​アメリカで​過ごした​経験の​ある​私は、​むしろ​その​自由な​空気に​心地よさすら​感じたのです。

日本の​学校では​”みんなと​同じ”であることが​求められる​場面も​少なく​ありません。​一方で、​その​学校では、​一人​ひとりが​自然体の​ままで​いられる​空気が​ありました。

その​雰囲気は​私に​とって​とても​心地よく、​子ども​たちに​とっても​大きな​安心感に​つながっていたのだと​思います。

我が​子は​アシスタントティーチャー

そんな​自由で​リラックスした​雰囲気の​中、​私は​キンダーガーデン​(幼稚園年長)から​高校3年生まで、​全ての​クラスで​日本文化の​紹介を​させていただきました。​クラスでは​折り紙や​書道などを​教えましたが、​どの​年齢の​子たちも​皆とても​楽しんでくれました。

折り紙クラスでは、​時々我が​子たちも​アシスタントまで​務めてくれました。​鶴やてんとう虫を​懸命に​作る​生徒たちに​「分からない​ことが​あったら​この​子に​聞いてね」と。​書道クラスでは​自分の​名前を​カタカナで​書いたり。​カタカナは​直線で​構成されるから、​漢字は​もちろん、​ひらが​なのような​曲線の​ある​文字よりも​簡単で、​彼らに​とっても​取り組みやすいと​思いました。

他にも​竹とんぼを​作ったり、​福笑いなど​日本で​古くから​伝わる​遊びを​紹介したり。​お箸を​使った​リレーゲームは​とても​盛り​上がりましたね。​全体的に​手や​体を​動かすアクティビティを​中心に​行いながら、​説明する​時は​スライドを​活用し、​できるだけ​分かりやすく​伝える​工夫を​しました。​『となりの​トトロ』の​ビデオを​教材と​して​使った​日本理解の​授業も​行いましたよ。​みんな​興味津々で​見てくれました。

原さんの研修1週目のスケジュール。火・水・木・金のLunch以降の時間帯に”Origami””Japanese Language””Japanese Lesson””Japanese Kids song~”のカリキュラムが並ぶ。「午前中はお子さんたちの様子を見に行けるように、授業は入れないでおいたわよ」と、子ども連れの原さんに配慮し校長先生が組んだ。
原さんの​研修1週目の​スケジュール。​火・水・木・金の​Lunch以降の​時間帯に​”Origami””Japanese Language””Japanese Lesson””Japanese Kids song~”の​カリキュラムが​並ぶ。​「午前中は​お子さんたちの​様子を​見に​行けるように、​授業は​入れないで​おいたわよ」と、​子ども​連れの​原さんに​配慮し校長先生が​組んだ。

全クラスを​周るので​スケジュールは​いつも​タイト。​各学年の​リクエストに​応じて​動きながら全体を​把握する​必要が​あり、​特に​研修の​後半は、​教材を​抱えて​走り回る​忙しい​日々を​送りました。

子ども​たちに​言葉は​いらない

1コマ30~40分ほどの​授業が​夕方頃まで​続く​日々。​1日2回ある​Recess​(休み時間)に​なると、​子ども​たち全員が​外へ​出て​遊んで​気分転換を​します。​雪の​中で​ソリ滑りを​したり、​雪合戦を​したり。​我が​子を​自然に​輪に​入れてくれる​優しい​現地の​子ども​たちと​一緒に​遊ぶ中で、​言葉の​壁を​越えて​距離が​縮まっていきました。

気づけば、​あれほど​不安そうだった​息子が、​自分から​現地の​子ども​たちと​遊ぶようになっていたのです。​彼は​最後まで​ほとんど​英語を​話しませんでしたが、​それでも​周りの​子ども​たちと、​身振り​手振りや​表情を​使いながらやりとりを​していました。​その​姿を​見て​「言葉が​なくても​通じ合えるんだな」と​感じ、​思わず​ほっこりしました。

彼は​毎日​英語に​囲まれて​過ごすうちに、​少し​ずつ耳が​慣れていったようです。​登校4日目頃には​「これって​どういう​意味?」と、​息子から​私に​聞いてくるようになりました。​子ども​たちが​自然に​言葉を​吸収していく​姿を​間近で​見られたのは、​母と​して​本当に​貴重な​経験でした。

世代や​国境を​越え 愛する​歌を​共に

プロの​ボイストレーナーである​ことから、​私は​音楽の​授業も​担当させていただきました。​劇団四季の​ミュージカルで​歌われている​『友だちは​いいもんだ』と​いう​曲を​英訳し、​生徒たちに​指導。​「教える​時に​映像が​あった​方が​いいな・・・」と​思いつき、​校内の​印刷室の​一角で​ひっそり撮影​&動画編集。​それが​功を​奏して、​みんなで​上手に​歌うことができました。​子ども​たちが​一生懸命歌おうと​してくれる​姿が、​とても​印象的でした。


原さんに​よる​『友だちは​いいもんだ』歌唱指​導動画

カナダの​生徒たちは​体が​大きくても、​日本の​同年代の​子たちより​あどけない​印象。​みんな​素直で​優しく、​どの​学年の​子たちも​私の​クラスを​楽しんでくれているのが​伝わってきました。​2週間と​いう​短い​期間ながら、​とっても​充実した​濃い​時間でした。

「これで​いいんだ」​- 完璧でないことが​当たり前

研修を​経て​私は、​我が​子たちと​一緒に​困難を​乗り​越えて​成長した​実感が​沸きました。​それを​成し得たのは、​カナダの​学校が、​どんな​子でも​そのままで​受け入れる​環境だったからだと​思います。​それは​我が​子たちも​例外ではありません。

中でも、​渡航を​全力で​拒否して​日本に​残ろうと​していた​人見知りの​息子は、​帰国を​全力で​拒否​(笑)​日本に​戻ったら​「カナダに​住みたい」​「また​あの​学校に​行きたい」とまで​言うようになったのです。​これには​本当に​驚きましたね。​言葉が​分からなくても、​自分なりに​コミュニケーションを​取り、​友達を​作り、​安心して​過ごすことが​できた。​その​経験が、​大きな​自信に​つながったのだと​思います。

怒られる​こともなく、​否定される​こともなく、​心が​満たされた​状態で​安心して​学べる​環境が​ある。​それが​本来の​教育なのではないか​ – そう​強く​感じました。

一方で、​外から​日本を​見る​ことで、​自国の​良さを​素直に​受け入れられるようにも​なりました。​たとえば、​日本では​当たり前のように​教わる​”きちんと​角と​角を​揃えて​折る​”折り紙の​作法。​けれど​向こうでは、​その​感覚は​当たり前ではなく、​まず”​揃える”と​いう​視点を​伝える​ことから​始まりました。​丁寧さや​美しさを​大切に​する​日本の​文化の​価値を​改めて​実感し、​私は​自分が​日本人であることに、​自然と​誇りを​持てるようになりました。

日本の​学校は​学ぶ​内容や​進度と​いう​点では​とても​優れていて、​誰もが​一定の​学力を​身に​つけられるように​設計されています。​一方、​カナダの​教育が​持つ”子ども​たちが​安心して、​自分らしく​過ごせるか”と​いう​視点も、​とても​大切なのだと​あらためて​感じましたね。​子ども​たちが​自然に​笑い、​友達と​関わり​「学校が​楽しい」と​心から​思える​ – ​その​土台が​あるからこそ、​学びも​深まっていくのだと​思いました。

誰もが​自分らしく​いられる​場所を​作りたい

かねてより​「演劇教育を​学びたい」と​思ってきた​私ですが、​なんと​今回の​研修先の​校長先生ご自身が、​ドラマティーチャー​(演劇教育担当の​先生)だったのです。

校長先生兼ドラマティーチャーと(写真右上)
提供:原彩子さん
校長先生兼ドラマティーチャーと​(写真右上)
提供:原彩子さん

「こんな​ご縁ってあるのか」と、​心底驚きました。​そして​実際に、​ドラマを​活用して​指導されている​現場を​見学させていただく​ことが​できたのです。

授業では、​映画を​題材に​「なぜ​この​アングルから​撮影したのか」​「何を​表現しているのか」を、​生徒たちに​考えさせていました。​私も​その​授業を​見学し​「物事は​一つの​見方だけではなく、​角度に​よって​まったく​違って​見える。​しかも、​伝え方​一つで​相手の​受け取り方も​変わるのだ」と、​多様な​視点を​持つことの​大切さを​実感しました。

それは、​まさに​自分が​子ども​たちに​伝えたい​ことでも​ありました。​演劇は​映画のように​見る​者の​視点を​コントロールできないからこそ、​見る​人に​よって​解釈が​変わる。​そこに​教育的価値が​あると​感じたのです。

この​経験を​通じて、​私は​子ども​たちに、​演劇を​通して​「答えは​一つではない」と​いう​こと、​多様な​価値観が​ある​ことを​伝え、​より​深い​思考力を​育てる​教育が​できるのではないか​ – そう​考えるようになりました。

短くも​濃密な​時間を​経た​今、​私は、​誰もが​”自分らしく​輝ける​瞬間”や”​生きる​希望”を​感じられる​教育を​つくりたいと​考えています。​ミュージカルを​通してでも​良いし、​学校教育と​いう​形でも​良い。

いろんな​価値観や​考え方が​受け入れられる​場所を​つくる​ – 私の​新しい​ミッションに​たどり​着きました。

親子で​同じ​成長を​喜ぶ

わずか​2週間と​いう、​極めて​短期間の​研修。​でも​私の​人生は​変わりました。​ほんの​少しの​勇気を​持って行動する​ことで、​世界は​広がる​ – それを、​身を​もって​知ることができました。​実際、​子ども​たち自身も​「最高の​経験だった」と​話しています。

私も​同じ​思いです。​2人の​子ども​たちと​共に​研修に​参加し、​共に​成長する​機会に​つながりました。​それは​親子で​海外に​飛び込み、​同じ​景色を​見、​同じ​不安を​感じ、​同じ​成長を​喜ぶことが​できたからこそだと​思います。

「育児が​あるから​一歩を​踏み出せない」​「英語が​できないから​無理かもしれない」​「子どもを​連れて​海外に​行くなんて​不安しかない」。​そう​感じている​お母さん方も、​多く​いらっしゃるかもしれません。​私も​まさに​そうでした。​でも​実際に​行ってみて​感じたのは、​完璧な​準備よりも​“まず​一歩​踏み出してみる​こと”の​大切さでした。

ほんの​少し​勇気を​出して​その​一歩を​踏み出せば、​現地で​素晴らしい​人たちに​出会い、​つながることができます。​同じ​時代に​生きていながら、​それまで​知らなかった​全く​別の​世界に​入り込むことが​できた。​あの​時勇気を​出して、​本当に​良かったと​確信しています。

しかも、​そんな​体験が​たった​2週間で​できる。​コミュニティの​外を​巡るだけの​旅行では、​なかなか​得られない​経験ではないでしょうか。

私と​同じように、​一歩を​踏み出して​新たな​世界へ​飛び込む​お母さんたちが​増える​ことを​願っています。​そして​私自身も、​これから​さらに​新しい​挑戦を​重ねながら、​自分らしく​前へ​進んでいきたいと​思っています。

私は​海外を​知る​ことで​「日本だけが​すべてではない」と​気づく​ことができました。​優しい​人たちや、​温かい​場所が、​世界の​別の​場所にも​ある。​そんな​私と​子ども​たちの​経験が、​誰かの​選択肢を​広げる​きっかけに​なれば​嬉しいですね。

出典:My Eyes Tokyo​(インタビュー&構成:徳橋功)

More Interview

他の​体験者の​声を​見る

参加者の​声一覧へ​戻る

Contact

研修に​ついて​相談する

体験談に​近い​研修内容や​期間に​ついて、​資料請求・​お問い合わせから​ご相談ください。