オーストラリア研修報告 小学校教諭​(英語専科)

<研修目的>

大学生の​ころから、​海外で​どのような​教育が​されているか​興味が​あり、​アメリカの​学校を​見に​いったり、​イギリスの​学校の​指導案を​分析したりしていた。​そして、​日本で​教師と​なり、​日本の​教育現場の​良さや​疑問点を​たくさん​見つける​ことが​できた。​日本の​教育現場を​ある​程度​理解したうえで​海外の​教育に​触れ、​これからも​日本の​学校で​働く​自分が、​日本の​子ども​たちの​ために​自分が​できる​ことは​何かを​考えたいと​思った。​そして、​双方の​国の​教育の​良さを​取り入れて、​子ども​たちに​返していけるのではないかとも​考えた。

また、​これから​世界で​活躍する​日本の​子ども​たちには、​多面的な​視野を​持つことが​大切だと​思う。​世界の​ことに​目を​向ける​きっかけを​作れたらと​思い、​参加を​決めた。​また、​昨年度、​今年度は​英語専科を​担当している。​英語を​学ぶ意義を​感じる​ことや、​それが​伝わったとの​嬉しさ、​もっと​学びたいと​いう​意欲を​子ども​たちに​持ってもらう​ために、​まず​自分が​そのような​体験を​したいと​思った。​英語力に​自信を​つけ、​今後の​自分の​授業も​改善を​加えながら、​子ども​たちに​自分の​知識と​経験を​伝えていきたいと​思う。

<研修概要>

期間:202​3年7月22日~8月5日

場所:Tullamore Central School

(Hinkler St, Tullamore, NSW, Australia, New South Wales)

人数:就学前~高校生 53名

<学校の​制度や​様子>

小規模の​学校であり、​Kinder​(​最年少5歳)から​Secondary​(おそらく​最年長16歳ぐらい)間で、​子ども​たちが​53名と​いう​人数だった。​主に​小学生以下は​複式学級であり、​5歳から​小学2年生までが​一クラスで​教師が​1人+サポートティーチャー1,​2人、​小学3年生から​小学6年生が​一クラス、​これをを​2つに​分けて​教師が​2人で​子ども​たちを​見ている。

月曜日には​Assemblyと​いう​朝の​集会が​あり、​そこで​校長先生が、​先週頑張った​子たちを​表彰したり、​先生たちの​連絡事項を​伝えたりしていた。​また、​最後には、​オーストラリア国歌を​歌って​終わる。

毎朝、​サポートティーチャーたちが、​朝食を​作り、​希望者には​朝食提供を​している。

授業は​日本と​違い​1コマが​長い。​また、​日本で​言う​20分休憩​(長休み)に​あたる​時間は、​ressesと​いい、​子ども​たちは​教室の​外で​軽食を​食べる。​教師も​スタッフルームに​集まり​軽食を​取りながら​話を​している。​昼も​同様に​外で​食事を​し、​そのまま​遊びの​時間に​入る。​教師は​ressesか​昼休みに​どちらかには、​dutyと​して​子どもの​見守りの​ために​外に​出ている。​(外で​食事を​している​教師も​いる。​)

授業の​ときには、​授業を​担当する​教師の​ほかに、​サポートの​先生が​入る​ことがある。​教員免許を​持っていない​人も​いるようだが、​仕事の​サポートを​したり、​授業に​ついていくのが​難しい​子たちに​ついたりと​子ども​たちに​とっても、​教師に​とっても​ありがたい​存在である。​また、​教師が​休みの​時は、​外部から​「カジュアルティーチャー」と​いう​代理の​先生が​来る​こともあるようだ。

自閉症や​学習に​課題の​ある​子たちも​多い。​サポートティーチャーが​つくだけでなく、​下の​学年と​一緒に​学習を​している​子たちも​いた。

日本と​違い、​子ども​たちが​掃除を​する​文化が​なく、​クリーナーと​呼ばれる​業者が​入る。

ほとんどの​子ども​たちは​アクセサリーや​時計を​つけており、​それに​ついての​指導は​ない。

教室の​中は、​さまざまな​掲示物が​貼ってある。​子ども​たちの​作品や、​算数の​問題を​解く​ときの​手順、​かけ算などである。​図書室も​カラフルで、​万国旗が​吊られている。​この​点は​ユニバーサルデザインの​観点で​シンプルになっている​日本とは​大きく​違う。

<研修内容まとめ>

〇オーストラリアを​学ぶ

[1]​教育

「海外の​教育は​良い」​「自由である」と​いうのは​よく​聞く​話では​あるが、​根本的な​ところは​日本も​オーストラリアも​同じであると​感じた。​子ども​たちは​しっかり​学び、​よく​遊ぶ。​教師たちは、​今の​子ども​たちに​どんな​ことが​必要かを​考えて​授業を​組み立てる。​これが、​教育の​根本であり、​個々に​関しては、​日本の​教師も​オーストラリアの​教師も​同じである。​その​アプローチ方法や​教育システムの​違いは​あるが、​双方の​国の​良さを​感じる​ことが​できた。

~Kinder~

① 子ども​たちを​4つほどの​グループに​分け、​12分を​1タームと​していろんな​学習を​する。​例えば、​先生と​一緒に​短い物語を​読みながら、​中身に​ついて​考えていく、​国語のような​授業。​自分で​単語を​指さしながら​読む練習。​先生が​言った​単語を​書く​練習。​文章を​書く​練習。​フルーツタイム。​フォニックス。​mini単語テストと​いった​内容で​あった。​単語を​書く​ときには​先生は​常に​フォニックスを​使い指導しており、​低学年の​子ども​たちでも​簡単な​英語を​書く​ことができていた。

算数の​授業では​全体で​集まり、​全員が​できる​内容を​学習する。​(例えば、​音楽に​合わせて​5とびを​言えるように​する。​さい​ころを​ふり、​出た​目のたし算を​する。​)​それが​終わると、​学年ごとに​分かれ、​その​学年に​合った​学習を​する。

→5歳の​子ども​たちは​「8」を​見つける​授業で​合ったり、​ブロックを​使ったたし算の​学習を​したりしていた。​子ども​たちが​実際操作して​理解していくのだが、​ここでの​ブロックは、​いわゆる​おもちゃの​ブロックのような​ものを​使っている。​日本人の​子ども​たちが​使う、​算数ブロックは​とても​いい​ツールであると​実感した。

→年が​上の​子たちは、​2桁+2桁の​計算を​考えていた。​3種類の​考え方が​あり、​3種類すべてを​使って、​問題を​解いていた。

③読み聞かせの​時間も​あり、​子ども​たちは​楽しそうに​物語を​聞いていた。

④生活科の​授業では、​五感を​使った​活動が​多く、​水を​体で​表現したり、​外で​聞こえる​音って​何だろう?と​みんなで​外に​行ったりと、​子ども​たちが​楽しく​学べる​活動が​多い。

⑤体育は​マット運動を​外で​行う。​始めに​しっかり​ウォーミングアップや​体力づくりを​する。​マットは、​小さい​子でも​運べる​折り畳みサイズ。​後転の​指導で​使われていた​坂道の​道具に、​ほとんどの​子が​後転を​できていた。

~Primary~

①算数では、​始めに​全員で​学習し、​その​あと​学年ごとに​分かれる。​先生は、​どちらかの​学年に​つき、​新しい​ことを​指導する。

②英語の​授業は、​毎朝の​ルーティーンと​して、​単語の​書き取りが​ある。​1週間を​単位とし、​毎日​単語を​書き、​それを​読む​練習を​する。​そして、​その​中の​言葉を​使って、​自分で​文章に​する。​日本で​言うと、​漢字学習ノートを​使っての​漢字の​学習と​いう​感じである。​これに​ついては​形を​変えて​日本でも​同じような​ことができるのではないのではと​考えた。

また、​3つの​絵カードが​前に​おいてあり、​子ども​たちが​持つ説明の​カードが​どの​絵に​当ては​まる​ものかと​いう​ことを​みんなで​考える​授業も​あった。

③劇の​台本が​配られ、​それを​読む​練習を​する。​最後に​みんなの​前で​発表する。​先生は​成績を​つけていた。

~Secondary~

①​一つの​言葉に​ついて、​意味、​同じ​意味の​言葉を​辞書を​使って​学んでいく。​一度に​たくさんの​言葉ではない​こと、​同じ​意味の​言葉も​合わせて​学ぶと​いう​点は​日本でも​生かしたい。

②即興の​授業が​ある。​キーワードが​書かれた​紙を​3枚配り、​それに​合った​劇を​グループで​考え、​見せあう。​そして、​キーワードが​何だったかを​相手の​チームに​考えさせると​いう​もの。​思春期の​子ども​たちの​クラスであったが、​みんなちゃんと​話し合いに​参加し、​劇も​していた。

③学校で​使う​ベンチや、​バーベキューの​鉄板を​作る​授業。​子ども​たち自身が​鉄を​切ったり、​溶接を​したりしながら、​下の​学年の​子たちの​ために​もの​づくりを​する。​音楽を​かけながら​作業を​行っていた。

<日本との​違い​>

① 教科書・ノート 教科書を​使い、​教科書の​流れに​沿って​教えていくのではなく、​教師が​今日の​課題を​提示して​授業が​進んでいく。​ノートは​基本学校に​置いて​おき、​必要な​時に​配って​使用する。​どの​学年の​ノートも​罫線である。​文字を​丁寧に​書きましょう、​姿勢を​正しましょうなど、​規律の​面での​指導は​日本より​少ないように​感じた。

②プリント 教師が​自作の​プリントを​使うことがほとんど​なかった。​日本では、​ワークシートを​手作りして​子どもに​使わせる​ことが​あるが、​この​学校では、​市販されている​ワーク、​もしくは​その​一部を​コピーした​ものを​使用する​ことがほとんどだった。​ワークを​使うことも、​プリントを​作る​ことも、​双方に​メリットデメリットが​あるが、​教師の​負担軽減と​いう​面では​大いに​役立つと​考えられる。​また、​子ども​たちの​指導に​不都合な​ものも​なかった。​(ワークを​使わない​ときは、​ノートや​ホワイトボードに​書いている​ことが​多い)

③自分たちで​学ぶ 複式学級であることも​大きな​要因であるが、​子ども​たちは​自分で​学ぶ​時間が​長い。​また、​そのような​ときには​真剣に​話し合うことも​あれば、​冗談を​言い​あいながら​課題を​進めていく​こともある。​しかし、​「学習は​自分たちでする​もの」と​いう​認識が​根底に​あるように​感じた。​グループで​話し合い、​全員が​間違えた​答えを​出すことも​あるが、​そこから​先生の​話を​聞き、​自分たちの​理を​深めていく​様子が​見られた。

[2]​文化

アボリジニの​文化を​大切に​している​ことが​分かった。​先住民だった​アボリジニたちは、​イギリス人が​やってきた​ときに、​迫害を​受けた。​この​ことは​学校現場でも​取り​扱っている。​そして、​アボリジニの​文化を​教える​先生が​いて、​言葉や​アート、​旗の​ことに​ついて​授業を​されていた。​同時期に、​オーストラリアでは​女子の​ワールドカップが​行われており、​そこでも、​オーストラリアの​国旗と​共に、​アボリジニの​旗も​掲げられていた。​この​旗は​いたる​ところで​見られる。​また、​学校では​アボリジニの​アートを​壁などに​描いている​ところが​多く、​オーストラリアの​人たちに​とって、​大切な​存在であることが​分かる。​オーストラリアの​国歌は​美しく、​前向きな​歌詞であるが、​その​歌詞の​中に​アボリジニの​人たちの​ことは​入っていないと​いう​ことを​教えて​もらったのが​印象的だった。

そして、​オーガニックや​エコの​考え方も​日本より​進んでいる。​オーストラリア産の​ものが​多く、​オーガニックや​ヴィーガンと​書かれている​ものも​たくさん​あった。​また、​カフェで​受け取る、​カップや​ストローも​ほとんどが、​コンポストできる​ものであったり、​紙製だったりする。​日常に​当たり前に​このような​ものや​考え方が​散りばめられており、​オーストラリアの​国と​しての​環境への​考え方が​分かった。

[3]​土地

広大な​平野であり、​動物を​飼っている​家も​多い。​朝は​鶏の​鳴き声が​聞こえ、​車で​走っていると、​牛、​羊、​馬、​やぎなどたくさんの​動物たちに​出会う。​また、​野生の​動物も​多く、​変わった​鳴き方を​する​鳥や​カンガルーを​見ることもしばしば​ある。​しかし​その​一方で、​野生動物と​車の​衝突事故は​避けられないようで、​たくさんの​動物が​道端で​死んでいるのも​見た。​そして、​行った​時期は​冬だったが​紫外線は​かなり​強い。​オーストラリアの​人々は、​冬でも​サングラスを​かけている。​また、​空気も​乾燥している。​同じ州の​中でも​大きく​違っており、​ポートマッコリーと​いう​地域では、​半袖で​十分な​ほど​暑かった。​ちなみに、​タラモア・ポートマッコリーは、​シドニーと​同じ​New South Walesと​いう​州であるが、​この​州を​横断するのには​約16時間かかる。

〇日本文化を​伝える

[1]​ 話の​中で・・・

始め、​子ども​たちが​日本の​ことを​ほとんど​知らないと​いう​ことに​驚いた。​日本では、​アニメや​漫画は​世界中で​人気であり、​旅行先と​しても​日本は​とても​人気の​場所である、と​いう​認識だった。​が、​田舎と​いう​ことも​あったのか、​漫画や​アニメも​1部の​子たちしか​知らず、​ある​子は、​中国、​韓国、​日本の​地名が​こんがらがっていた。​一番子ども​たちの​認知度が​高かった​ものは、​「桜」と​「ポケモン」だった。​それでも、​日本に​ついて​興味は​持ってくれているようで、​「これは​日本では​どうなの?」​「日本語で​○○は​何て​言うの?」などたくさん​質問してくれた。

[2]​文字

日本から、​プリントを​作って​持っていき、​ひらが​な・カタカナの​50音表や​1年生で​習う​漢字の​一覧を​見せた。​そして、​文字を​書いてみよう!と​いう​ことで​筆ペンを​持参し、​「こんにちは」​「ありがとう」​「コアラ」​「侍」等の​文字を​書いてみた。

そこでは​いくつか​反省すべき点が​あった。​濁音は​50音表に​載っていないにも​かかわらず、​「ありがとう」には​濁音が​出てくる。​この​点々が​どの​文字に​つくのかが​分かりにくかったようである。​また、​「こんにちは」の​「は」を​「わ」と​読むことに​対しても​質問が​あった。​私たちが​英語を​学ぶ​ときに​悩むように、​日本語にも、​小さな​きまりが​たくさん​あり、​それを​日本人は​ちゃんと​海外の​人に​分かるように​説明する​ことは​難しいのだと​いう​ことを​痛感した。

最後に、​子どもの​名前を​ひらがなで​書いてあげて、​写して​書いてみるよう​伝えた。​ここでも、​ひらがなで​書いたことにより、​小さい​「ぁ、​ぃ、​ぅ、​ぇ、​ぉ」が​出てきてしまい、​これに​ついては​反省ポイントだった。

[3]​折り紙

和柄の​折り紙を​持っていき、​何を​作ろうか​悩んだ​結果、​紙飛行機を​作った。​子ども​たちは​楽しく​作り、​飛ばしてくれていたが、​一人の​女の​子は​折り鶴を​知っていたようで、​「鶴、​折れる?」と​聞いてきた。​折ってあげると​とても​好評で、​自分でも​折ってみたいと​言い、​難しいながらも​頑張って​折っていた。

[4]​兜

日本から​日本語の​新聞を​持っていき、​兜を​作った。​小学生たちは​「侍とは?」と​いう​ところから​始まり、​画像を​見せると​「かっこいい!」と​盛り​上がり、​ノリノリで​折っていた。​完成したら​とても​嬉しそうで、​戦い​ごっこを​始める​子も​いた。​また、​帰りに​かぶって​帰った​子も​いた。

[5]​お箸

お箸自体が​家に​ない​子が​ほとんどで、​持ち方から​教えた。​その​あと、​持参した​緩衝材を​使って、​何個、​つまめるかの​競争を​した。​意外と​みんな​上手だったが、​難しく​感じる​子たちも​いて、​緩衝材に​突き刺して​運んでいたので、​それは​実は​良くない​マナーなんだよ、と​伝えた。​でも、​どの​子も​興味を​持って取り​組んでくれて、​「お箸が​欲しい!」と​言ってくれた​子も​いた。​日本に​来た​ときは、​お箸で​ご飯を​食べてみてねと​いうと、​とても​嬉しそうだった。

[6]​おにぎり

おに​ぎりを​作る​ために、​ふりかけと​海苔、​あと​緑茶と​梅昆布茶を​持参していた。​おにぎりで​一番​困ったのは、​現地の​お米が​パラパラで​固まりに​くかった​こと。​また、​子ども​たちは​素手で​握ることに​抵抗が​ある​子も​いた。​そして、​三角に​するのが​難しかったようで、​机の​上で​山を​作っていた​子も​いた。​味は​おいしいと​言ってくれていたが、​のりや​梅昆布茶など、​初めて​食べる​子ども​たちが​多かったようだ。

<研究成果と​展望>

教育目標・文化・歴史など、​何もかもが​違う国で​学ぶことは​多く、​オーストラリアの​良さを​存分に​感じる​ことが​できた。​また、​改めて​日本の​すばらしさにも​気づく​ことができ、​視野を​大きく​広げる​ことが​できた。

2週間、​自分が​楽しく​過ごすことが​できたのは​「人の​温かさ」の​おかげであると​思う。​みなさんに​「受け入れて​もらった」と​いう​経験を​し、​感謝の​思いで​いっぱいである。​また、​日本に​来る​外国の​方々に​対して、​自分も​このような​温かい​気持ちで​接したいと​思った。​そして、​これは​学校の​子ども​たちにも​伝えていきたいと​思う。​言葉だけではない​優しさの​伝え方を​子ども​たちが​学び、​それを​他者に

向ける​ことで、​子ども​たち自身の​成長、​そして​集団と​しての​成長に​つながる​こと​願う。​また、​世界は​一つであると​いう​ことを​実感し、​「平和学習」にも​生かすことができると​いいと​感じた。

教育現場は、​日本と​大きく​違う。​国と​しての​制度や、​学校ごとの​システムなど​驚きの​連続だった。​しかし、​「オーストラリアは​いいな」​「日本は​こういう​ところが​だめだのだ」と​いう​視点ではなく、​「日本の​良さを​生かすためには​どうしたら​いいか」​「今ある​制度や​決まりを​上手に​使っていくには​どうしようか」と​いう​前向きな​視点で​日本の​現場に​戻ってくることが​できた。

オーストラリアでは、​「ライフワークバランス」と​いう​言葉が​会議で​出される​ほど​大切な​ものだそうだ。​仕事に​やりが​いを​持ち、​心身ともに​健康で​働ける​ことは、​とても​大切な​ことである。​私自身の​ことだけでなく、​周りに​目を​向け、​職員室全体が​明るい​雰囲気を​持てるよう、​自分が​できる​ことを​考えたいと​思った。

英語を​話す​ことは​大切な​ことである。​自分の​英語力を​もっと​あげたい、​今の​ままではだめだと​痛感したのは​もちろんである。​しかし、​それは​あくまで​ツールであり、​人と​人との​つながりは​言葉だけで​ないと​いう​ことも​感じた。​このような​経験から、​「生きた」​英語を、​「話したい」と​思える​子ども​たちに​「楽しくて、​分かる​授業」が​できるような​教師に​なりたいと​思う。

今回の​研修の​学びを、​子ども​たち、​他の​先生方に​返し、​教育の​現場を​より​生き​生きとした​場所に​変えていきたいと​強く​思った。

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