投稿日:2014-05-30
Bさん
参加時の年齢:50歳
海外インターン内容:アメリカのスクールインターン
1999年、世紀末で慌ただしいころ、私は50歳を迎えようとしていました。電気エンジニア一筋に26年間働いてきましたが、ある日ふと、「このまま同じ仕事を10年続けた後は、一体自分はどうなるだろうか」と考えるようになりました。
「何か新しいことを始めてみたい」と漠然と思い始めたころ、家内にインターンシップ・プログラムス(IIP)のスクールインターンの資料を見せられ、海外の学校で日本語を教えることこそ、私が探していたことだと気づきました。人に教えるという仕事は、年をとってからでも長く続けられるし、人にも喜んでもらえるのではないだろうかと考え、私は決断しました。「よし、会社を辞めて海外に行こう!」と。
出発前に、語学学校で英語の個人授業を1ヵ月間、日本語講師養成講座を5ヵ月間受講しました。「かつてこんなに勉強したことがあっただろうか」と思うほど毎日勉強しました。
こうして、私の「日本語教師」としての第一歩が始まったのですが、さすがに初回の授業は緊張しました。失敗がないようにと入念に準備して出発しましたが、アメリカ到着後、「明日からお願いします」と言われたときは「来るべきときが来たか!」と思ったものです。
生徒数は、日本語初級2名、中級1名の計3名からのスタートでしたが、日本から来た先生が授業していると聞きつけた生徒たちが徐々に増えてきたときは、照れくさいやら嬉しいやら。
「大学内だけでは生徒は限られている。もっと多くの人に日本語に触れてもらいたい」と思い、近くにある日系企業に「日本語の勉強をしませんか?」と持ちかけたところ、予想以上の参加希望者がありました。受講定員の20名をあっという間にオーバーしてしまったため、さらに追加のクラスを増設し、結果、数十名の生徒に日本語を教えることに。
授業の内容はいろいろと工夫しました。長年培ったエンジニアの知識を活かし、授業で教えた日本語の発音を生徒がいつでも気軽に復習できるように、教科書の内容を私の声でExcleに貼り付け、CDにコピーして音声教材として配布しました。
インターン生活の中で特に大切に考えていたのは、「いかに生徒の負担を軽くし、楽しく日本語を学習できるか」ということです。
そんなことをを考えて毎日を過ごしていたら、あっという間に帰国の日を迎えました。「先生の教えてくれた日本語は、無理に覚えようとしなくても、一度聞いたら忘れない」という教え子の言葉が印象に残っています。「五十にして天命を知る」。
アメリカ・ピッツバーグのLa Roche Collegeへ行ったことは、私にとってまさに「天命」だったのかもしれません。