海外の教育事情を垣間見た9ヶ月間
竹田佳代さん
アメリカ
私は、2003年の10月より9ヶ月間アメリカ・ケンタッキー州で小学校の先生として生活しました。私の行っていた町Panitsvilleは、本当に小さな町で日本人はもちろんのこと、アジア人ですら珍しいと思っておられる方がたくさんいて、現地に着いた時は町の新聞に載る騒ぎでした。

アメリカへ行く前は、高校で勤務していました。そこで3年半、さまざまな生徒に会い、いろんな事を感じ、青少年をサポートする事に自分なりに力を注いできました。それと同時に、海外の同年代の青少年はどんな環境で育っているのか興味を持つようになりました。他国を見るにあたって、このプログラムを選んだのは「本当の現地の生活がわかるかもしれない」という期待からでした。旅行では見ることのできない、語学留学では感じることのできない、その土地の人達の空気の中で生活をしたいという欲求を満たしてくれるプログラムはIIPしかないと思いました。国は特にこだわっていたわけではなかったのですが、勉強したことのある言語は英語しかなかったし、妹も住んでいるという単純な理由でアメリカに決めました。

26歳で退職しての海外生活、多少感じる不安はあったものの決めてしまえば驚くほど気持ちは楽になり、前へ前へ進んでいくことができました。

いよいよ渡米。5人家族のホストファミリーが、色々と私の為に準備をして温かく迎え入れてくれました。私の部屋の壁はキレイな色に塗り替えられ、その部屋には壁と同系色の花が飾ってあって、棚の上には子供たちからお菓子のプレゼントもありました。

でも、その感動もつかの間、いざ海外生活が始まってみると、日本での生活とは全く違う食事や生活リズム、私を取り巻く全てのものが違うという現実にぶつかりました。

中でも『英語』、勉強していたといっても、高校の時の成績は他の科目に比べても一番悪く、コミュニケーションには本当に悩まされました。「言っていることがわからない」、「言いたいことが言えない」・・・こんなにもどかしく辛いものかと思いました。でも、そんなこと思っていても進まないというか、進めないプログラムだったのが今思えば良かったのだと思います。というのも、教壇に立って学校で授業をしないといけなかったからです。そこで私は、どうすれば子ども達との距離が近くなれるのか考えて、学校で2つの事に試みました。ひとつは、しっかりしてそうな女の子を捕まえて、「私はあなたの日本語の先生ね、あなたは私の英語の先生ね」とお願いしてみました。そしたら子どもたちは、自分が先生だと言われる事がよほど嬉しかったみたいで、得意げに教えてくれて、私がわかるまで、言えるまで熱心に教えてくれるようになりました。もうひとつは、『恥を捨てる』ということです。私はいつも授業に行く際に、何も言えなくなってもそれを見れば言えるように小さなメモ書きをポケットに忍ばせていました。出来るだけそれを見ないようにしていたのですが、あまりにも言葉に詰まって授業が進まない時は思い切って堂々とメモを見て進めるようにしたのです。恥を捨てた事で、前よりも声も大きく堂々と授業を進めていくことができるようになりました。どこのクラスに行っても、積極的に話し伝えるという授業を繰り返すので次第に言葉を覚えスムーズに行なえるようになってきました。

このインターンに参加して本当によかったと帰ってきてから改めて感じています。なぜかと言うと、目的だった海外の教育事情も垣間見ることが出来たし、留学や旅行と違って、今でもその土地との繋がりを感じるからです。お世話になった家族や先生方、そして子どもたちから「今日、お母さんに怒られた」とか、「バスケットの試合で優勝した!!」などと、他愛もない内容の連絡が今でもはいってきます。

長い人生において『たったの9ヶ月間』ですが、振り返るといろんなことがありました。子どもたちが内緒で開いてくれたサプライズバースデイパーティー、ホストマザーの井戸端会議、日常の子どもたちとの交流、学校の先生の会議、どれをとっても、そこで生活をしないと得られない体験だったと思います。

何よりも日本からやってきた見ず知らずの私を無条件に優しく温かく受け入れて下さったPaintsvilleの町の人には本当に感謝しています。