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今回はハワイのお正月について報告させて頂きます。
日系人が多いハワイでは日本式のスタイルでお正月を迎える方がたくさんいらっしゃることをはじめて知りました。スーパーに行くと門松、お供え餅等のお飾りが並んでおり、食べ物に関してもお雑煮、なますをはじめとするおせち料理があり、日系人のお宅ではハワイスタイルのおせち料理を食べてお正月を迎えるようです。材料が若干ハワイのものに代わっていたりとするようですが、基本は日本のおせち料理と一緒です。
通常の生活から日本食はたくさん食べられてますが、お正月におせち料理を食べる習慣があることにもとても驚きました。
クリスマスに比べると元日はとても静かで穏やかな過ごし方でしたが、お正月にもハワイ独自の文化があることはとても興味深いことでした。
2012年01月19日・E・ 20代 , アメリカ , スクールインターン
先週初めて雪らしい雪がここRockfordに降りました。しかし私が想像していたよりはとても温かい冬だと思います。それでも氷点下は普通ですが。日本語クラスでは新年と言うことでみんなに年賀状を書かせました。今年の干支は龍。私の日本人のイメージとしてはドラゴンは緑のイメージがあるのですが、子どもたちの書いた絵を見ると赤のドラゴンが多く見られました。また先日日本のスポーツとして相撲を紹介しました。ネットで英語で説明している動画を探し、自分で作ったパワーポイントを使って説明しました。自分の英語の発音がまだまだネイティブとは程遠く、みんなぽかーんとすることが良くありましたが、動画を使うことによって、とても授業の役に立ちました。また、菓子箱を使ってステージを作り、おりがみで力士を作り、戦わせてみました。物珍しそうにみつつも楽しく最後は終わることができました。英語に困ったら、英語で説明している動画を使うのもひとつの手だと思います。
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早いもので私の研修期間も折り返しを過ぎてしまいました。半年は長かった気もしますが、やはりあっという間だったという強い印象があります。
さて私の現在の活動ですが、学校訪問に加えてハワイ日米協会のメンバー向けのプログラムにもいろいろ参加させてもらっております。一年に数回大きなイベントがあり、年末も近いということで10月から12月の頭に掛けて、かなり大きなイベントが続いてありました。少人数のスタッフで大きなイベントを運営・企画することはなかなか大変で、私もその過程を見つつできる限りのお手伝いをしました。
12月の上旬にはサイレントオークションというイベントがあり、準備期間が大変でしたが今まで経験したことのない楽しい経験をすることができました。出品されるものもかなりバラエティーにとんでいて、日本の骨董品みたいなものから、有名ホテルの宿泊券・ゴルフコースでのプレイ券等々。出品された品物をみているだけでも楽しかったです。
年内の大きな行事も終了し、いよいよクリスマスウィークに突入しました。温かい場所で過ごすクリスマスは初めてなのでとても楽しみにしております。街のイルミネーションやオーナメントもハワイらしい、サーフボードに乗ったサンタ・水着のサンタ等々とても新鮮です。
またお正月も日系人が多いということで、ハワイスタイルのお正月のお祝いがあるようです。そちらも楽しみにしております。また次回報告できればと思います。
2011年12月13日・Sachiko Inomata・ 50代以上 , アメリカ , スクールインターン
あと1週間ほどで研修が終わります 最後の1か月は生徒もこちらも慣れてきて授業もスムーズにいくようになりました 
文化紹介では来年のカレンダーを作りました もちろん曜日は漢字で書きます 周囲に和紙を張ったり、筆ペンで墨絵を書いたりしました
全寮制なので放課後にいろいろな活動があります activityと称して1週間ごとにスケジュールが張り出されます 先日「お寿司の作り方」を頼まれました 当日まで何人来るかわかりませんが、他の活動を見ていると3人から10人位なので とりあえずご飯を3合と4合と2つの釜で炊きました 途中で足りなくてもう1回ずつ炊きました 後で使った焼き海苔から計算すると60本巻いたことになります 何人来たんでしょう 驚きました 来週アンコールでもう1度します さあ、これからという時に帰ってしまうような気もします
2011年11月10日・Sachiko Inomata・ 50代以上 , アメリカ , スクールインターン
こちらに来て1ヵ月以上たちました 文化紹介もかなりいろいろなことをやってきました。日本語クラスがあるのでお習字を書かせても結構上手に書きます 折り紙もあやとりも中にはすでにできる生徒もいます いろいろなことを教えるのもゲームの中に織り込んでしたほうが興味をもってもらえます 先月1対1で教えているクラスがあることをお知らせしましたが、その生徒が日本語で自己紹介を覚えて(3分間スピーチのようなかんじ)今日ビデオに撮りました。上手にできて、こちらもなんとなくうれしかったです。お茶の紹介のほうはこちらからお願いして週1回ラウンジのようなところでやっていますが 関心のほどは今一というところです。
2011年10月02日・E.H・ 20代 , アメリカ , 国際教育実習プログラム
今は日本語クラスで千羽鶴計画を実行中です。みんな折るのに夢中で誰が早く折れるか競っています。一方で時間をかけて丁寧に折る生徒もいます。折り方を忘れずに家族や日本語クラスをとっていない友だちへと折り方を広がっていったらうれしいなと考えています。いろんな方に日本の文化に触れるチャンスが増えればいいなと思っています。
日本語クラスの高校では週4で日本語クラスがありますが、毎回ひらがなを書かせて、発音させています。毎日繰り返しすることで覚えると思うのでフラッシュカードを使ったり、最近はかるたを利用したりして、同じことの繰り返しに飽きることなく楽しく覚えてもらえるように心がけています。生徒によってはつまらないと感じることもあるので、本人が楽しいと感じる方法を試行錯誤しながら授業をしています。あくびやため息ができてたら飽きてきた合図だと思って、新しいことを始めたりと自分もいろんなことを授業をしながら学んでいます。
9月からこちらの学校が本格的に始まるので、いよいよ教育プログラムに本腰を入れて参加させていただくことになります。
すでに数回学校訪問を行い、所属しているJapan-America Society of Hawaii独自の日本を紹介するプログラムを見学する機会がありました。覚えること、学ぶことがたくさんありますが、楽しみながらプレゼンができるようになれるといいなと思っております。

教育プログラム以外でも、これから年末に向けての行事がいろいろ予定されています。そちらにも可能な限り参加し準備等のお手伝いができればと思っております。

一般生活もサイクルが出来上がった上に少しだけ周囲を見る余裕ができてきました。仕事関係以外の人々ともできるだけ触れ合う機会が作れればいいなと思っております。
2011年06月22日・E.H・ 20代 , アメリカ , スクールインターン

アメリカに来て早3ヶ月が経とうとしています。3か月がたつころには英語もペラペラに話せるようになると思っていましたが、そう簡単にいかないことが来てみてわかった。今までは、ホストファミリーや先生方に頼ってレストランやホテルなどの予約をしていたが、先日学校が夏休みに入ったので、一人で旅行に行ってきました。頼る人がいないので、バスに乗るにもレストランでも行き先や食べたい物を自分で伝えなければならない状況に立たされ、初めて一人で英語を使って会話という会話をした気がします。せっかく海外に来たのだから、旅行をするなどして外との交流をはかることで、英語力ももっと早く身につけられる思います。自己主張をしないとわかってもらえなかったり、あきれられたりすることがこの旅行でわかったので、自分の意思をしっかり伝えるようにしていきたいです。ひとと会話をすることが1番早く英語の上達を助けると思うので、それを信じて、もっと多くの人々と会話をしていきたいです。


 

2011年05月23日・kumiko Imai・ 20代 , アメリカ , 国際教育実習プログラム
今月初め、私の学校ではお世話になっている人に感謝の気持ちを伝えようというappreciation weekがありました。
そこで、先生たちに日頃の感謝を伝えるため、
代表の生徒たち(日本でいう生徒会のようなもの)が各先生に感謝の手紙を書き集会で渡すという
生徒たちと校長先生が企画したサプライズイベントがありました。
このイベントで、なんとアシスタントである私まで全校生徒の前で表彰していただきました。
思わぬ展開に驚きましたが、本当に嬉しい気持ちでいっぱいでした。
今回、ここで手紙の内容を紹介したいと思います。

Kumiko Sensei.
Thank you for all the time and energy you put into making YG a better Japanese program for the students.
You are hard working and have taught the students so much this year.

短い手紙ですが、生徒が一生懸命書いてくれたメッセージはとても心に響きました。

早いもので、あと一ヶ月で私のインターン生活も終わりを告げようとしています。
お世話になった先生方、一緒に楽しく勉強をした生徒たち、ホストファミリーや友達、日本にいる家族、
この一年間私を支えてくれたすべての人に感謝の気持ちを伝えながら最後の研修に励みたいと思います。

2011年04月25日・Kumiko Imai・ 20代 , アメリカ , 国際教育実習プログラム

さて、今回生徒たちと一緒に料理の勉強を進めていく中で一つ学んだことがあります。
それは「ぼたもち」と「おはぎ」の違いについてです。
私は小さい頃からおはぎもぼたもちも名前を知っており、もちろん何度も食べたことがあるのですが、日本語クラスの先生に「ぼたもちとおはぎの違いは何?」と聞かれた時に、何も答えることができませんでした。先生は、アメリカ生まれですが日本に何年か住んでいたことがある方で、このような違いについては、日本人の私たちよりもはるかに敏感に感じとられています。
「ぼたもちは春、おはぎは秋...」くらいの知識しかなかったのでインターネットで調べてみると、その違いの裏には、昔の日本の人たちと季節との密接な関係があることがわかりました。ぼたもちは春の花である牡丹の花に見立て、大きくて丸く形づくるのだそうです。そしておはぎは秋の花である萩の花に見立て、小ぶりで細長くするとのことでした。
また、おはぎは小豆の収穫期に作るため、とれたての柔らかい小豆を餡にできることから粒あんを使用し、ぼたもちは冬を超えた小豆を使用せざるを得ないため、固くなってしまった小豆の皮を剝いでこしあんにするのだと言うのです。

今は多くのお店が一年中おはぎを売っていたり、私たちもさしておはぎとぼたもちの違いに目をむけようとはしません。
しかし、昔の人たちが季節ごとにつくっていたおはぎやぼたもちが、日本の素敵な伝統の一つであることも忘れてはならないと感じると同時に、このような文化を一つでも多く、アメリカというこの地で伝えられたらいいなと思いました。

Do you know the difference between ohagi and botamochi?
Though I am a Japanese, I had no idea about it.
It's related to the life styles of old Japanese people which are depend on the seasons.
We usually eat ohagi in fall because the flowers of hagi bloom in fall.
Also we usually eat botamochi in spring because the flowers of botann bloom in spring.
That's why we call them ohagi and botamochi.
Then there are other interesting facts.
Red beans are harvested in fall and we can make delicious smashed sweet red beans. So ohagi made with them.
But red beans which passed the winter can't make them. So botamochi made with strained sweet red beans.

It's really interesting Japanese tradition. But unfortunately, most of Japanese people forget about these things.
I learned these through cooking week activity at Japanese class.
We have to think about it again and I want to tell these facts to the people in here!


 

2011年04月25日・Kumiko Imai・ 20代 , アメリカ , 国際教育実習プログラム
今月中旬、私の日本語クラスではcooking weekを設け、一週間料理に関する勉強をしました。
例えば、「ゆでる」「焼く」「まぜる」など、料理をする時に使用する単語を勉強したり、「まず」「次に」「そして」などの接続詞を使って料理の手順を説明する練習をしたり、日本とアメリカのレシピの書き方を比較して相違点を挙げたりと、様々な面から日本語と料理をリンクさせながら授業を進めました。
そしてcooking weekの最終日は自分たちで翻訳したレシピを基に焼きそば、みそ汁、ぼたもちを作りました。好き嫌いは大きく分かれましたが、とても楽しそうなcooking partyになりました。

2011年04月10日・E.H・ 20代 , アメリカ , スクールインターン

シカゴに到着してから早2週間が過ぎました。初めの1週間はまだ春休みで学校が始めていなかったのでホストファミリーと仲良くする時間として過ごしました。一緒に買い物に行ったり、家の周りの野生の動物の話をしたり、お互いの国の映画を見せあいっこしました。
そして2週目、学校に行き始めました。日本の学校とは全く違う仕組みでずいぶん驚かされました。生徒たちは初めて会うわたしを不思議な目で見つつも目があったらHi!と向こうから挨拶をしてくれました。すべてが初めてでこの1週間はとにかく打ち解けられるように努めました。慣れない生活に毎日緊張状態。まだ会話はできませんが、現地の先生方はゆっくり話してくれるので助かっています。会話ができるように努力していきたいです。


 

先日、震災に関する署名コラムが掲載されました。オピニオンページは地味なので、どの程度読まれているのか分からなかったのですが、掲載された個人アドレスあてに30通以上のメールをいただき、励みになりました。本当に1文だけの感想から、支援策の提案、果ては日本旅行の相談まで。今は、彼らと連絡を取っている最中です。


 

2011年03月30日・KumikoImai・ アメリカ , 国際教育実習プログラム

ある日ラジオを聞いて来たら突然流れて来た日本の大地震のニュース。
本当にびっくりして、耳を疑いました。
ニュースを見ると、津波や地震で大崩壊した日本の信じられない光景が目に飛び込んできました。
こちらアメリカでも連日東日本大震災のニュースばかり。
時が経てば経つほど、恐ろしい日本の状況が明らかになり、本当にショックでした。

そして何よりアメリカにいて、何もしてあげられない自分自身に強い悔しさを覚えました。
今苦労しているであろう家族や友達、被災地で大変な生活を強いられているたくさんの方々、
そばにいてあげることもできず、何もしてあげられないのだろうかと...。

しかし、今回の地震の件で、たくさんのアメリカ人の心の優しさに触れることができました。
タクシーの運転手さん、バスの乗客、ホストファミリー、ホストスクールの先生方や、コミュニティカレッジの先生方
見ず知らずの人まで、日本は大丈夫?あなたの家族は無事?と心配してくださるのです。
明らかに気落ちしている私をバスの運転手さんはぎゅっと抱きしめて
"I'm so sorry for Japan. I'll pray for them."
と言って励ましてくれました。
海を越えて遠く離れたアメリカにいても、こんなにたくさんの人が私たちのためを思って心配し、
一緒になって心を痛めてくれることに、改めて人の優しさを感じることとなりました。
たとえ国が違えども、どんなに遠く離れていようとも、
人を思う優しい気持ちというのは変わらないのだなと感じるとともに、
見ず知らずの私を元気づけてくれることについては本当にアメリカのいいところだなと感じたのでした。

され、私たちのクラスでも毎日日本の地震についてのニュースを授業で見てきました。
そこで、今回7年生の子供たちが、日本への応援メッセージをyoutubeにアップロードすることにしました。
http://www.youtube.com/watch?v=0E_WU7wY1A4&feature=player_embedded
少しでも日本にエールを送れたらと思います。

また、私自身もオレゴン大学の日本人学生を中心に編成されたボランティアグループに
コートの寄付をしました。
何もできないと落ち込んでいるのではなく、
アメリカにいるからこそできることは何かと考え行動することが大切だなと思い直しました。

今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
また、まだまだ苦しい生活をしている被災地のみなさん、
どうか頑張ってください。
遠く離れたアメリカからもたくさんの人が応援しています。

One day, I heard the news about Japanese big earthquake from radio.
I was so shocked. When I watched the news about it, I found out that the situation was getting worse.

I regretted that I can't do anything for Japanese.
I was wondering why I am in the US, why I can't stay with my family, friends and lot of people who suffered from this earthquake.

However, thanks to this problem, I felt love of the people.
Everyone worried about me, my family and Japan. Even if those who I don't know worried about us!
Though here in Eugene is really far away from Japan, they really care about Japan as if Japanese are their family.
I was really happy to know that.

Meanwhile, my Japanese class's students made video clip for the Japanese to send a message and uploaded on youtube.
I hope that this message will help Japanese people to overcome this earthquake.
Also I donated my coats to volunteer group of U of O students.
I thought that I should think what I can do for them, and take action!

I hope Japan will overcome by connecting each other.
Don't forget we are always be with you.

 

2011年03月07日・Keiko Yagura・ アメリカ , スクールインターン

・妊婦さんにベビー用品などを送る、ベビー・シャワーという会がある。(産前、産後)

・研修校は日本の修学旅行のような宿泊行事がない。

・布団、洗濯物を外に干すことを禁止している州が多い。
・風邪を引いてもマスクをする習慣がない。
・野生のリスがたくさんいて、家の庭でもよく見かける。
・マラソン、ウォーキング、ガーデニングをする人が多い。
・ 授業中に放送が入る。(小学校の授業時間が担任に任されているので仕方ない。)
・教科書は貸し出しでサイズが大きく、ワークブックは個人持ちで提出できるように切    り取り線が付いている物が多い。
・パブでお酒を飲む時はもちろん、スーパーの試飲でも身分証明書の提示を求められる。
・アメリカ人は格言が好きで、店でも格言が書かれた写真立てや置物をよく見かける。
・前髪は切らずに、ピンでとめている人が多い。(髪質は日本人に比べ、柔らかく細い  人が多い。パーマをかけたみたいな天然の髪をしている人も多い。)
・トイレットペーパー、キッチンペーパー、ノートなどの紙類と洗剤の値段が少し高い。
・食品は安く、特にチキンの丸焼きなどは4ドル以下で買える。
・クリアファイル、下敷きは売っていない。
・スプレー式のサラダ油、クリーム、チーズが売られている。
・消しゴム、鉛筆、ノート、ホッチキスなどの文房具は日本製の方が質が良い。レポート用紙の紙は薄く、黄色の物がよく使われている。ホッチキスは外すためのフックが付いていないので外す道具は別売りされている物を買う。ファイルの穴は3つ。
・ 研修校はStudents Respect Dayがあり、昼食時にアイスクリームが配られた。
・*セント・パトリック・デーや*イースターなどの行事の前にもたくさんの店でそのグッズが売られる。
 ・マクドナルドやカフェなどでコーラ、レモネードを注文すると2杯目以上は無料でおかわりできる。
 ・夏休みは日本の学校のようにクラブ活動がないので、2月下旬から学校や地元の新聞 で美術、演劇、サッカーなどのサマーキャンプの広告が掲載される。料金はまちまちで、例えば研修校の先生主催の演劇キャンプだと5日間で午前か午後の3時間で125ドル。 ただし、教師は生徒が使う材料費やスナック、飲み物などもこの費用で賄わなければならない。
・アシスタントの先生は教員免許は不要。
・小1の教室は授業で教えている内容に合わせて、教室の掲示物を作っていた。
  (授業内容が天体の時はトイレットペーパーの芯でロケット。海洋生物の時はペーパー  プレートでクラゲなど。)
・小2、3はクリスマス、バレンタインなどの行事に合わせて教室掲示物を作ってた。

・低学年の教室には、「Silent(静かに)」「whisper(小声の私語可)」「Free(自由に遊んでも良い)」の3段階のマグネットのサインがあり、自習時間に先生の指示でクラス代  表の生徒がそれを付け替える。
・キッチンにディスポーサー、大型の食器洗い機がある。 
・2月下旬のNCの気温は26℃くらいの日が5日間くらい続いた後に、12℃くらいになることがよくある。
・10ドルより安いワインも美味しい
・家の外にある暖炉でよくワインパーティをする。
・NCは飲酒運転に関してかなり寛大。運転中の携帯電話操作も寛大。
・研修校は米南部で有名なマディグラス(謝肉祭の最終日)と呼ばれる行事前の金曜日に 半日、8年生が幼稚園から7年生のために自分たちでゲームやネイルアートなどのブースを設け文化祭のような催しをする。

*(セント・パトリック・デー)3月17日。アイルランドにキリスト教を広めたパトリックの命日でアイルランド移民を先祖に持つ人が多い地域ではパレードなども行われる。この日は子どもたちはシャムロックの柄や緑の物を身につけ「つけてないとつねるぞ!」という遊びをする。

*(イースター)キリストの復活を祝う日。4月で毎年、日にちが変わるが約1週間イースター休暇がある。子どもたちはゆで卵に絵を描いたり、「エッグハント」と呼ばれる大人が庭などに隠した、お菓子やおもちゃが入った卵形の容器を探す遊びを楽しむ。

(おまけ)
  最近、日本の桜、梅、桃、南天、竹などが人気で庭に植えている人が多い。

2011年01月01日・柴藤愛林 23歳・ 20代 , アメリカ , スクールインターン

底抜けに明るい子供たち。

気持ちを踊りで表現する子供たち。コトバの壁って、そんなに高くない。

就職を控えた大学3年生の終わり頃から、このまま就職していいのかなと考えはじめ、卒業後このプログラムに参加しました。派遣先の小学校に着いてまず驚いたのは、壁に飾られた掲示物の多さです。日本の小学校の教室は学年が上がるごとに殺風景になりがちですが、"superstar"(がんばった子たち)の写真などがたくさん飾られていて、とてもにぎやか。そこで私も掲示物をたくさん作りました。これが結構好評で、"bulletin board queen"というあだ名までつけられました。子供たちが頻繁に校長室に遊びに行っていたことも驚きのひとつでした。校長先生も生徒の名前をちゃんと覚えていて、生徒と先生との距離がものすごく近いのです。すごくいいなぁ、と思いましたね。

着物・浴衣等を紹介、モデルの女の子はとても嬉しそう この学校は、生徒の9割近くがアフリカ系アメリカ人。彼らは何かあるとすぐに踊るんですよ。音楽があろうとなかろうと「ちょっと見て」といってユニットで踊り始める。それがとてもうまいのです。たくさんの人と触れ合うなかで、気持ちをうまく伝えられるようになり、英語でケンカができるほどになりました。コトバの壁は、思っていたほど高くない。これからは仕事でも世界のいろいろな人と出会いたいです。

クロワッサンをつまみながらフランス語の授業共に日本語を教えたKathyとは大親友になった

巻きずしを作って食べましたHalloweenのカボチャを収穫

2011年01月01日・星野起美・ アメリカ , 親子のスクールインターン

子連れ海外暮らしは苦労も3倍、だけど...喜びも3倍でした。

星野起美 アメリカ Minnesota before大学院修了 スクールインターン9ヶ月 afterインターナショナルスクールに就職

子供達には出発前、近所の英会話教室に通わせたのですが、全く身に付かず(笑)、 殆ど何も出来ない状態で出発しました。息子は小学校6年、娘は小学校2年の秋のことです。ホームステイ先は校長先生のお宅。お蔭様で子供達の学校のことも色々相談できましたが、 静かなご自宅に、言葉の通じないやんちゃな子供2人を連れていったのですから、やはり大変でした。子供達もストレスがあり、「学校に行くのはイヤだ」「もう日本に帰りたい、おばあちゃんに会いたい」と泣かれたり、また食生活や習慣の違いから体調を崩すということも。その度に私も「こんなことなら1人で来ればよかった」と思ったものです。

しかし、娘が英語をペラペラと話しだした頃からその気持は変わっていきました。現地の2年生と一緒に読み書きも習得し、発音やイントネーションも、私が「この単語、どんなふうに発音するの?」と聞くほどになっていました(笑)。小さいうちに日本語以外の音を聞かせたり、真似したりする効果、必要性を見せつけられたのです。息子は年齢的なこともあり、娘ほどめざましい英語力の伸びは見られませんでしたが、彼には語学を越えた素晴らしい友人達との交流がありました。言葉の壁を越えて慕いあう子供達のパワーには本当に驚き、感激しました。

お揃いのTシャツで 今でも息子の同級生であったアメリカ人の子供達からはE-mailが頻繁に届き、やりとりしています。勉強嫌いの息子ですが、英語だけは得意で好きだと言っています。ミネソタにいる大好きな友人たちの英語がまだ耳に残っているんです。2人の子供を連れての海外生活は苦労も3人分ですが、喜びも3人分です。子供を介して、子供の友人、そのご家族とも親しく交流できます。学校でも地域でも親子3人まるごと皆から愛されたという感じでした。「ほんとうに子供達2人とここへやってきて良かった」と思いました。

もともとは私が「英会話力をつけたい」と思って参加したものですが、結果的には子供達にとって素晴らしい留学体験になりました。

2011年01月01日・小林靜子 35歳・ 30代 , アメリカ , ワーク&カルチャーインターン

どんな環境でも前向きな気持ちで楽しむ。

小林靜子 35歳:ハワイ(コーヒー農園) before教育関係企業勤務 ハワイで研修(3ヶ月間) after帰国後以前勤務していた企業へ

私が開拓したコーヒー畑の豆をブランドとして売り出したい。

収穫したコーヒーの実 コーヒー好きの私を受入れてくれた研修先は、ハワイ島のマウナロア山の中腹にあるコーヒー農園。ハワイといっても、観光地ではなく電気も水道も通っていないジャングルのような場所で、夜はランプ、生活用水は貯水タンクに雨水をためて使っていました。最初は本当にびっくりしましたが、暮らしていくうちに次第に電気のないランプの生活にも馴染んでいきました。

農園では、朝7時から午後1時半くらいまでコーヒー豆の摘み取りやオーガニック野菜の栽培などを手伝い、その後はビーチに行ってのんびり過ごすこともありました。3ヵ月間という短い滞在でしたが、ハワイは植物の成長が早く、コーヒー栽培の1年間のサイクルを知ることができ、とても勉強になりました。新しいコーヒー畑も開拓しました。ほとんど私一人でやりとげたので、オーナーが「Shizuko's Orchard」と名前をつけてくれました。研修後も毎年訪れ、手入れをしています。将来、この畑のコーヒーを自分のブランドとして売り出すことが、夢。きっとかなえてみせます。

ホストファミリー3ヵ月間すごした電気も水道も無い小屋

出荷されるコーヒー豆

2011年01月01日・竹之下麻里 23歳・ 20代 , アメリカ , ワーク&カルチャーインターン

任された仕事は責任を持って、楽しむ。

竹之下麻里 23歳・アメリカ(図書館) before大学の文学部を卒業 アメリカで研修(1年間) after帰国後は図書館勤務を希望

アメリカの図書館学は日本より10年進んでいるといわれています。その実情を見たくて、このプログラムに参加しました。資金については親の援助に頼っていますが、ユーロ・アメリカン教育協議会から奨学金を受けることができました。

オフィスにて インターンシップ先はワシントンDCの中心部にあるアメリカ議会図書館。世界各国の書物を所蔵しているため、職員の国籍もさまざまで、「リトル国連」と呼ばれることもあるそうです。私は、明治前後の日本の書籍をリーダーサービスに出すための作業を任されています。私にも積極的に仕事を任せてくれるので、とても充実した日々を過ごしています。

図書館内

2011年01月01日・北川竜也 23歳・ 20代 , アメリカ , ワーク&カルチャーインターン

国連会議も経験し、視野を広げた。

北川竜也 23歳:アメリカ(国連関連NGO) before大学で国際経済を専攻、卒業 アメリカで研修(1年間) after帰国後コンサルティング会社勤務

大学卒業後の進路を考えなくてはならない時期に、このプログラムの存在を知りました。大学院進学という道も考えていましたが、海外で仕事の経験が積めることに魅力を感じ、渡米を決意しました。

研修先は、Parliamentarians for Global Action (PAG)。このNGOは、世界各国の国会議員約1400人で構成され、国境に縛られず世界の諸問題を解決しようという志の高い団体です。僕も一人のスタッフとして扱われ、国連での会議などにも参加させてもらいました。こうした貴重な経験は大きな自信となり、今の仕事にも大変役立っています。

国連ビル前で

2011年01月01日・小平美香 36歳・ 30代 , アメリカ , ワーク&カルチャーインターン

研修体験を生かし、「国境なき医師団」に参加。

小平美香 36歳:アメリカ(病院) before東京都内の病院に看護主任として勤務 アメリカで研修(1年間) after「国境なき医師団」に参加

海外の現場でアメリカの医療と英語を学びたかったのですが、最初はコトバも通じず、大変でした。あるとき院内に無料の看護助手養成コースがあることを知り、ふと参加することに。ひとつ自分から動き出すと、そのことをきっかけに、自分のやるべきことも明確に見えて来るのですね。その後は実りの多い研修活動をすることができました。

リハビリ中の患者さんの移動 帰国後は、NGO「国境なき医師団」の活動にも参加できることに。アメリカでの研修の経験を評価された部分が大きかったようです。いろいろな国の人たちと1つのプロジェクトを組むこの活動は、私にとても合っていて、やりがいを感じています。

「国境なき医師団」の活動現場にて

2011年01月01日・坂本真理 28歳・ 20代 , アメリカ , ワーク&カルチャーインターン

教えてもらいたいことは、自分から働きかける。

坂本眞理 28歳:アメリカ(テレビ局) before新聞社に記者として勤務 アメリカで研修 1年間 after帰国後は日本のテレビ局勤務を希望

映像を使った報道を学ぶためアメリカのローカルテレビ局へ。

スタジオ サンホアキンバレーの中核都市フレズノにあるFOX系列のテレビ局で研修をしています。日本では、新聞記者として警察や裁判関係、アイヌ民族関係の記事を担当していましたが、映像を使った報道に興味を持ち、それなら一度アメリカで修行したいと。そんなとき仕事の現場で学べるこのプログラムを知りました。将来はテレビ関係の報道に関わりたいので、ローカルのテレビ局を希望。決まったときはうれしかったですね。

アメリカという国を選んだ理由は2つあります。1つはイラク戦争などで国際的な批判を浴びているけれど、アメリカ人はどう感じているかを知りたかったこと。そして、もう1つは日系アメリカ人に関する取材がしたかったからです。渡米するために新聞社を退職。その後は英字新聞をネット等で読んだり、インターネットラジオでアメリカのニュースを24時間聴いたりして準備しました。研修中の会社は従業員約250人とあまり大きくはありません。テレビ局というと日本では「ビル」というイメージがありますが、こちらのローカル局はどこも平屋建てのようです。

若いスタッフが多く、和気あいあいとした雰囲気。

職場の仲間たちと 研修先では、リポーター、カメラマンとともに現場にでかけ、取材の補助作業などをやっています。インタビューをすることもありますし、映像の編集作業や投稿記事の編集作業などもやらせてもらっています。「やりたい」と言えばなんでもやらせてもらえる雰囲気ですね。勤務時間は、最初の3ヵ月間は午前9時から午後5時でしたが、今は夜10時のニュース担当になったため、午後2時半から午後11時となりました。

こちらの人たちは、働き方がうまく、あまり具合が悪くなくてもSick Offを取り、自分で健康状態を調整しているようです。休みは権利として保持し、絶対にサービス休日出勤等はしません。若い従業員が多く、プロデューサーもディレクターも30代の女性で、記者やカメラマンは20代から30代がほとんど。50代の報道部長等が一応しきってはいますが、結構自由です。社員を激励する試みも積極的で、月に1回は「○月生まれの人のための誕生会」と銘打って、社員にケーキとアイスが振舞われます。みんな和気あいあいとしているので楽しく、同年代の人が多いので話も合います。

知りたいことがあれば意思表示をすることが大切。

ビデオ編集の様子 こちらでは、何をするにも待っているだけでは誰も助けてくれません。映像編集を教えてもらおうとしても、誰も指導責任がないインターンには教えてくれないのです。つまりこちらから積極的に尋ねる態度が必要なのです。日本では「誰かが助けてくれるのが当たり前」ですが、こちらではそうではなく、周りも「何か聞かれたら助ける」というスタンスです。

語学については、英語で長時間雑談したり、難しい国際情勢や日本の作家の作品について話せるようになってきました。こちらに来て、I have a feeling that...(...のような気がする)、Say that again? What's that?(Pardon?の意味。こちらでPardon?は聞いたことがありません)というフレーズをよく使うようになりました。それから不安で一杯だった活動初日の終わりに女性プロデューサーにYou made it! と言われたときはうれしかったですね。研修終了後は帰国してまた報道関係の仕事につきたいと考えています。そして日本在住の日本語があまり話せない外国人にもインタビューできるバイリンガルの報道マンになりたいと思っています。

ホストマザーと

オフィス内

2011年01月01日・中村欽哉 65歳・ 50代以上 , アメリカ , スクールインターン

異文化交流という生きがい。

中村欽哉 65歳:アメリカ before大手製鉄会社退職の後、関連会社の役員 スクールインターン6ヶ月間 afterボランティア活動を積極的に行う

豊富な社会経験をいかして、定年後に異文化交流を楽しむ。

定年退職の2年前にこのプログラムに参加することを決めました。会社員時代は、仕事を通じて社会貢献をしてきたつもりでしたが、退職するとその生きがいも消滅してしまう。そこで異文化交流という新しい道を選ぶことにしたのです。生まれて初めての海外生活は、英語もあまり自由ではありませんでしたが、伝えたいことをきちんとアピールし、わからないことをしっかり確認していけば、十分に意思疎通できました。いつも電子辞書を胸ポケットに入れていたのですが、次第にそれが有名になり、それを取り出すことを楽しみにしてくれる人もいました。

紙芝居のクラス 演題は一寸法師 キャスパー市では、私の活動が好評で、他の小学校2校、高等学校1校、幼稚園1校からリクエストをもらって訪問しました。キャスパーマウンテンでクロスカントリースキーを楽しんだり乗馬をしたりと余暇も充実していました。また、私の活動に多くの人が関心を寄せ、新聞取材もたくさんうけました。この経験を通じて、私は大きな自信とエネルギーをいただきました。人生経験の豊富なサラリーマン卒業生にとって、異文化交流は格好の役回りかもしれませんね。

研修先の小学校野生のヤギが道路のすぐ脇に

先生達と公園で滞在したホストファミリーの家


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