マヨルカ島でのスクールインターン
真島 依里さん
スペイン
私は1998年の3月からマヨルカ島にある2つの小学校でスクールインターン活動をして来ました。それまでスペインに行ったことはあったものの、マヨルカ島に行ったのはそれが全く初めてでした。スペイン語の基礎の基礎ぐらいのレベルで渡西してしまった私は初日からショックを受けることになりました。それはマヨルカではカスティーリャ語(いわゆる標準のスペイン語)とは別にマヨルカ語(カタルーニャ語とはまた少し異なる現地の言葉)が使われていたからです。特に小学校では、普通の授業はマヨルカ語で行われ、授業の科目としてスペイン語やカタルーニャ語があるというような状況でした。もちろん人々は自分達同士ではマヨルカ語を使っていても、私にはスペイン語で対応してくれましたが、TVや新聞においてもマヨルカ語が氾濫していて、最初のうちはこの先大丈夫だろうかと不安になることもしばしばありました。
スペインの小学校は日本の小学校とは年齢層が異なり、下は3歳から上は13歳までのクラスがありました。2校共日本人を受け入れたこと自体が初めてだったので私はとてもラッキーでした。何をとっても彼らには初めてのことばかりだったからです。最初の日から人なつっこい子供達の笑顔と親切な先生方に助けられ、私のインターン生活はスタートしました。3歳児〜5歳児はあまりにも小さすぎて、一体何を教えていいのか分からず戸惑いましたが、簡単な折り紙や歌を中心に教えました。各クラスで教える時は常に別の先生が1人いて私をサポートしてくれました。年齢が上のクラスでは日本語も教えました。
海外で日本のアニメが人気なのは有名な話ですが、スペインにおいても例外ではありません。モドラえもんモなんて知らない子供はいないほどです。スペインでは海外のものを放送する際はTVでも映画でもほとんど吹き替えなので、アニメの主題歌も全てスペイン語になっています。ある授業で訳をしながら日本語で“ドラえもんモの主題歌を教えたら、数日後生徒の1人が私のところへやって来て、何も見ずに完璧な日本語で歌い切り、子供の速習力に驚かされたことがありました。また、3歳の子供達も“かえるの合唱”をほぼ完璧に覚え、お遊戯会で披露してくれました。でも何と言っても子供達が一番好きだったのは折り紙の授業です。小さい頃から折り紙に親しんでいる日本の子供達とは違い、彼らにとっては正方形の紙の先端と先端を合わせることさえ容易ではないのです。それでもみんな一生懸命で、毎回毎回、「今日は何を折るの?」といつも楽しみにしてくれていました。頭に被れる大きさのかぶとを折るのに一番適した日本の新聞紙も両親に頼んで日本から急遽送ってもらいました。新聞が足りなくなってスペインの新聞紙を貼り合わせて使ったこともありました。
私の教えていた2つの小学校はマヨルカの中でも比較的貧しい地区にありましたが、そんなことは関係無く、子供達は本当に生き生きとしていて、私を見つけるとすぐに“Hola Eri!!!”といつでもどこでも明るく声を掛けてくれました。スペインの小学校は日本の小学校に比べて課外授業が多く、かなり頻繁に色々なところへ出かけました。植物園や動物園、美術館を見学したり、山へ行って自然に触れたり、それは子供達にとってとても大切なことだと思いました。しかし課外授業が多いことよりも私を驚かせたのは、スペインでは小学校でさえ落第があるということです。日本では考えられないことですが、スペインではそれは特別なことでも何でも無いので、落第している子供達が周りの子供達から何か差別を受けたりすることもありません。授業についていけなくても、そのまま進級してしまう日本の小学生達より幸せなのかもしれません。
私のスペイン語ですが、校長先生が市役所主催の外国人の為のスペイン語教室を探して下さり、そこに週2日通ったと同時に毎日学校で子供達に接するうちに自然に上達して行きました。行った当初は本当に生活に必要な身の回りの単語さえほとんど知らなかったというのに。ネイティブにとっては当たり前かもしれませんが、子供達は何の問題も無くスペイン語を話しますが文法が出来ません。逆に私は話せなくても文法は分かるので、スペイン語の授業では、幼少のクラスでは先生と一緒に子供達に文法を教え、年長のクラスでは彼らと一緒に席に座り、一生徒として授業に参加させてもらったりもしました。スペイン到着当初はスペイン語より英語の方が得意だった私は、帰国前には英語で話そうと思ってもスペイン語が出てきてしまうほどになり、ちょっとしたマヨルカ語も理解出来るようになっていました。
ホストマザーのフランシスカはホストティーチャーのマルガリータの従姉妹で、当時15歳のカルロスと12歳のビクトリアと大きなピソに住んでいました。(数ヶ月後小さなピソに一緒に引っ越しましたが。)渡西前にも彼女とは電話で話をしましたが、日本人と接するのは初めてだし、しかも私のスペイン語が下手すぎてどう接していいのか分からないと思っているという感じを受けました。初めのうちは私も「もっとやさしいホストマザーが良かった。」なんて思ったりもしましたが、スペイン語も上達し生活に慣れていくうちに、自然に仲良くなっていきました。
フランシスカは料理をすることがあまり好きではありませんでした。(決して下手という訳では無く、時間をかけて楽しく料理をするタイプでは無いということです。)初めのうちはよその家のキッチンを勝手に使うことに抵抗があって料理をするのを遠慮していた私ですが、それどころか、料理をした方がかえって喜ばれることが分かりだんだん気にせず料理をするようになりました。彼女は結構日本食を気に入ってくれました。友人宅で何度か日本食パーティーをしましたが、マルガリータの家に先生達やその子供達を招いて、肉じゃが、お好み焼き、カレー、巻寿司を各14人分作った時はさすがに疲れました。でもみんなとても喜んでくれたので私も頑張った甲斐がありました。日本では巻寿司なんてほとんど作ったことが無かったのに、スペインで何度が作っているうちにだんだん上手くなっていったのが自分でもおかしかったです。一見冷たそうに思えたフランシスカですが、さばさばした男勝りの性格で、私にあまり干渉することが無かったので、かえって気が楽でした。ホストファミリーを変えようかと思った時期もありましたが、最後まで彼らと一緒に生活して良かったと今は思えます。もちろん楽しいことばかりあったわけでは無く嫌な思いをしたこともありますし、逆に彼らに嫌な思いをさせてしまったこともあるだろうと思います。
去年の11月、何度目かの里帰りでマヨルカに行って来ました。ほんの数日しかいられませんでしたが、フランシスカやマルガリータ、友人達、そして成長した子供達はいつも通り変わりなく私を暖かく迎えてくれました。フランシスカの息子のカルロスはカディスで大学生活を送っていて、今回会うことは出来ませんでしたが、フランシスカが成長したカルロスの写真を私に見せながらこんなことを話してくれました。「カルロスは毎月マヨルカにいる彼女に鶴を折って送っているのよ。」と。カルロスに一度鶴の折り方を教えて欲しいと言われ、教えたことはありましたが、それをちゃんと覚えていて彼女に毎月送っているなんて。自分が誰かに教えたことが今でも引き続きその人の生活の一部として何らかの形で残っているということを知り、本当に感激しました。ただ1つ残念なのは年々私のスペイン語が低下しているということです。相手の言っていることは以前と変わらず理解出来るのに、自分の言いたいことが言葉となって出て来なくて、スペインへ帰る度に歯がゆい思いをしています。帰国後、渡西前に働いていた職場へ復帰して現在に至りますが、仕事上スペイン語を使うことは全くありません。それだけに日々コツコツと勉強を続けていくことが今の私には必要なのだと思っています。
約10ヶ月間のスペイン生活、本当に色々なことがありました。向こうにいる間私は毎日欠かさず日記をつけていました。スケジュール帳の小さな欄は蟻が這っているような小さな文字で埋め尽くされています。今でも時々読み返しては思い出に浸っています。沢山の人との出会いが私にとってはかけがえのない何よりも大事な宝物です。お金では得ることの出来ない貴重な体験が出来て、本当に行って良かったと心から思っています。