どうせやるなら徹底的に
阿部 美由紀さん
ドイツ
北ドイツの小さな町シェーニンゲンに暮らし、隣町ビュッデンシュテットの中学校で送った二ヶ月間。もう十年が経とうとしていますが、その間のことは決して古びることなく、私にとっては、前後の時間の流れから切り離された島のように、手を伸ばせばすぐ届くところにあります。
ドイツは、私にとって中学生の頃から影響を与え続けてくれた小説や音楽の生みの国であり、学生時代に初めて訪れたときに見た風土の美しさや、自然体でゆったりした人々の温かさに、一度でいいから生活してみたいと願っていた国でした。就職して5年目が経ち、仕事も面白く気の合う同僚にも恵まれて過ごす毎日でしたが、その一方で、長年勉強してきたドイツ語が実際に人々の間でどうやって使われているのか知りたい、そして自分という人間が一人になった時どのぐらい通用するのか試したいという気持ちが抑えがたくなっていました。外国人同士の中で学ぶことになる語学研修はどうもピンと来ず、そこに生活する人たちともっと直接かかわるような事をしたい…そこでインターンシップ・プログラムスへの参加を考えました。もちろん旅行と違って、長い期間のホームステイ、そして学校で「教える」ということはとても大変なことで、よほどの覚悟と能力、それに社交性がないと出来ないものと、全く自信もなく、出発の直前まで「もうやめようか」と思うこともしばしばでした。そのたびに出てくる「どうせやるなら徹底的にやってみなきゃ」という自分の中のもう一方の声、これまで良いものを与えてくれた国の人たちに自分から少しでも何かしたいという思い、そして一度でいいから教壇に立ってみたいという夢が叶うという魅力、これらが私を実際に押し出してくれたのです。
緊張して着いた私を待っていたものは、私を「日本文化紹介のためにやって来る日本人」ではなく、まず一人の友人として、家庭に、また学校に受け入れようとしてくれる人たちの暖かさ、そしてその次に、全てを私に任せ、私が何をしようとし、何を実際にするのかを黙って見ている静かさでした。学校の子どもたちにも同様のものを感じました。その、優しさの中の無言の観察と期待を感じるうち、次第に私は、言葉が出来ないとか、自分は本職の教師ではないから、などというのは通用しない、今とにかく自分自身が持っているものを提供しなければ…と思い、うまく行こうが行くまいが自分の方法でやるしかないと覚悟を決めました。そして各クラスのはじめての授業で生徒との間の緊張が解けて、生徒たちの笑顔や輝く目を見た時の嬉しさ。私はこれを決して忘れないでしょう。
全く知らないところに飛び込んで、自分のやるべきことやりたいことを切り開いて行き、かつ受け入れられるようにしてゆくのには、勇気と意志がいります。毎日が常に自分が持てるものの総動員の連続です。周りの人たちや子どもたちと親しくなって私自身リラックスして楽しむようになっても、常に新たな場面に出会います。今日うまく行っても明日はうまく行くかわからない、ある日はなぜか人が言っていることがさっぱりわからず、いうことも通じないと思えば、翌日は打って変わって口が滑らかだったり…。そうして送る毎日は、私に状況に寄らず、知恵を絞って最善を尽し人に誠実に接すれば、不器用で言葉が不自由な自分でも何とかなるのだという一種の自信を与えてくれました。帰国後の十年間、この基本的な自分への信頼は変わらず私を支え続け、何かしようとしてためらう時には「あの時のことを思えば何だって出来る!」と思うと、不思議と目の前のハードルが越せるような気がしてくるのです。
学校やホストファミリー、町で出会った人たちはさまざまな生き方を私に示してくれました。人の性格やありようや考え方に国境はない、よく言われるような民族や国民による固有の特質などは唯の先入観に過ぎず、あるのは「個人」なのだ。これが、私の得た答えです。また、二ヶ月間、それで喜び笑い怒り不平を言い、いろいろな人の心を聞いたドイツ語は私にとって、聞き取れないことや言い表せないことがあるにもかかわらず、第二の母国語になりました。帰国後、仕事で読むドイツ語のビジネスレターの文面の裏に、書き手の姿と細かい意図を感じられるようになりました。
ホストマザーのマギーは、派遣校の先生としての仕事と一家の主婦役だけでなく、毎日学校が引けてからの午後には何かしらの活動をしていました。教会を手伝い、家庭教師やボランティアをし、一人暮らしの親戚を見舞い、集まりに出かけ、人を招く。いつも自分に出来る限りのことをし、私をそれらに連れて行ってくれました。私はそのようなマギーの姿から「愛と力を惜しむな」ということを教えられました。そもそも、見ず知らずの私を2ヶ月間家に招きいれてくれ、全てを分けてくれるということ自体が、どんなに大変なことでしょう。それを考えた時、私はもっと自分を開いて、誰かのために何かできることがあったら億劫がることなく実行しなければならないと思うのです。
何かをしているとき、知り合った人々、そして十年前の私が問いかけてきます。「充分に力を尽くしている?」と。
もうじき、私がシェ−ニンゲンにいたのと同じ月がやってきます。日本で春の風の、湿り気のある土の香りを嗅ぎ、長くさえずる鳥の声を聞くと、当時歩き回った美しい夕方をそのまま思い出します。
 学校で写した写真や、最後にもらった寄せ書きを見ていると、子どもたちのいろいろな表情や身振り、私に向けられた授業中の真剣な顔や、遠足の時のいたずらっぽい顔、くすくす笑い、こっそりしてくれた打ち明け話などを思い出します。今、その子達も立派な職業人になっていることでしょう。
こちらが受け取るものと対等のものをこちらからも与えることが出来る本物の交流が可能なのが、このプログラムであると私は確信しています。