フランス私観 その後
宮尾 素子さん
フランス
今から7年前の1997年4月。当時大学生だった私は、一年間学校を休学して、フランス南西部の田舎にある幼稚園で9ヶ月のスクールインターンに参加した。
 今回、その後を振り返るにあたって、帰国後思うままに書いた長い文章と、その一部を抜粋した共同出版第3集『飛んだ異国の青い空』を読み返してみた。そのときのタイトルは「1997 フランス私観」。久しぶりに読んでみると、いろいろと忘れていることに気づいた。そして、その当時の自分のことも少し思い出した。それだけ少しずつ時が流れているのだ。
 今から2年前の2002年、わたしは再びその地を訪れた。
そのとき少し閉塞的な時期にあった私は、ふと旅に出ようと決めたのだが、思い起こせば幼稚園で一緒に過ごした悪友たち(?)がまもなく中学生になるというのもあり、その前に再び会っておきたいという気持ちもあとからついてきたのだった。
先に印象からいうと、本当に月並みだが、変わっているものもあったし、変わってないものもあった。当然、子供たちは目に見えて成長していた。しかし、そのおもかげは変わることなく、意外にも私はみんなの名前を忘れていなかったし、幸いに彼らもまた、わたしのことを覚えていてくれた。若干の入れ替わりはあったので、残念ながら全員に会えたわけではないが、新たな出会いもあった。そのときは2週間の滞在だったが、結構フルにいろいろな学校におじゃまさせてもらったからである。小さな地域なので、先生同士の連携が密なのと、私がインターンシップで滞在したときに知り合った先生たちのほとんどが2002年には他の学校で働いており、それぞれの学校を訪問させてくれたので、まるでスクールインターンとして訪れたかのような滞在になった。
「その後」の園児のそれぞれはとても書けないが、概してみんな元気にすくすくと成長していたのは、本当になにより嬉しいことだった。体も大きくなって、字もしっかり書けるようになったけど、みんなそのまんまなんだもの! 私にとってもうひとつ嬉しかったことは、園児のご家族もまた、私のことを覚えていてくれたことだった。インターンシップでフランスに行くまで、私のことを知る人はひとりもいなかったその地に、4〜5年たった後にも自分を知り、覚えてくれている人がいるというのはとても不思議なことだ。ところで、参加していた当時とても手のかかる子がいた。その子のことはとてもよく覚えていたのだが、2002年に再会したときの彼はとってもおとなしくて、最初はわからないほどだった。残念ながら、私は他の元気いっぱいの子どもたちにもみくちゃにされていたので、その子とはきちんと挨拶できないままになってしまった。数日後に、その子のお母さんと偶然再会したとき、その子が家で「今日Motokoが学校に来ていた」と話していたのよと教えてくれた。そしてお母さんいわく、幼稚園当時、耳がよく聞こえなかったことが彼を不安にさせ、苛立たせ、そのために大きな声をだしたり言うことをきかなかったりしたのだと思う、だけど今はとってもいい子なのよとも話してくれた。原因がわかることで、なぜその子が乱暴に振る舞っていたのかを周りが理解でき、またカバーできる方法も見出せるということかと思う。今こうして書いていると、是非その子に会っていろんな話を聞きたくなってくる。もっと欲張ると、ひとりずつの話をもっともっと聞きたくなる。今では中学生になっているはずだけど、どんな生活を送っているのだろう?
「その後」に訪れたことで感じたことのひとつに、幼稚園児が小学校に通い、中学生になるという段階と、中学生以降その後の進路を考える段階というのは少し(大きく!?)異なる…ということがある。なんといっても、後者は”teenager”なのだから。インターンシップの受入先である幼稚園の園長宅が私のホームステイ先だったが、そこには3人の子供がいた。まだ10歳以下だった彼らも2002年には上二人が中学生になっていて、子の思う進路と親の思う進路は違う方向を向いているようだった。最も変化を感じるのはこの頃ではないかと思う。1997〜98年と2002年という4〜5年の歳月では、確かに成長はしているものの、幼稚園児とその親の世代の大きな変化はそれほど感じない、というより最初に書いたように「変わっているものもあるし、変わっていないものもある」という感じだが、10代半ば以降は大きな変わり目だろう。子にとっても、親にとっても。この先数年して再びかの地を訪れたときには、今回の「その後」とは違ってきっと「変わった」と感じることの多い訪問になるだろうなぁ…と思うのだけど、どうかしら?
最後に、「その後」の私自身のことを少し。
1年間休学してインターンシップに参加した後、大学に復学して卒業したものの、私自身はインターンシップの経験を職業に役立てるという気持ちは全くなかった。私にとって、インターンシップに参加したことは、単に自分自身がそのときにやってみたかったこと――日本を離れて、生活も言葉も異なる、知らない土地で生活してみたいという気持ちから出発したものだったので。1998年に帰国して6年、もうすぐ三十路を迎えるという今まで、卒業後は派遣社員としていろいろな仕事をする一方で、「その後」のフランスでの再会も含めたさまざまな出会い、出来事、きっかけなどがつながり、今年から、今度はアメリカで「遊学」ではなく「留学」の日々が始まる。言語障害の分野の勉強をするつもりで、昨年の秋に情報収集を兼ねた語学留学をしてきて、やはりやってみることにした。この数年、私はさまざまな出来事が―うまく言えないが―偶然であり、また偶然でないと思うようになった。インターンシップで出会えた多くの人々、そこでの出来事や経験。それは必ず「その後」である今の自分につながっており、何かあるごとにくり返しそれに気づくことと思う。そして、変化をおそれることなく、数年後再びあのフランスの地を訪れたい。彼らが変化しているように、わたしもまた変化していることだろう。
そういう場所があるということは、こわいけれど、幸せなことではないかしら?