小さな友の大きな船
木下 孝子さん
フランス
◆ボンジュール、フランス
思えば5年前。初めてフランスの地に降り立った。それまで海外旅行に行ったことすらなく、自信を持って話せるフランス語といえば「ボンジュール」と「メルシー」だけという私が、いきなり9ヶ月間の長期滞在という試練を受け、興奮と悲嘆にくれた瞬間だった。フランスの現地公立小学校でのインターン生活。望んで来たものの、私の脳裏には「崖っぷち」という単語が浮かんでは消えていった。初めての海外。記念すべき日にもかかわらず、私はこの日の天気すら覚えていない。
フランスに行くまでは、あんなことも教えよう、こんなことも紹介したい、と鼻息も荒く意気込んでいた。習字道具、折り紙、箸、茶道具、いろんな物を持ちこんだ。日本の民族衣装である着物の着付けまで練習した。(が、所詮は付け焼刃。実際に持っていったのは、簡単に着られる浴衣だった。)
◆フランス人にはわからない
私が赴任したイゾー・ド・ロテル小学校は、全校児童が13人、職員は校長先生1人きり、教室も1つだけという小さな学校だった。その教室の窓からはピレネー山脈が見え、チャイムは隣にある教会の鐘の音というのどかな暮らしぶりだった。しかし、そんなのどかな暮らしぶりとは裏腹に、私の授業は大騒動だった。今まで見たことも聞いたこともないことを、フランス語の話せない日本人が教えるのである。混乱するのは火を見るより明らかだった。折り紙で鶴を折った時など、なぜ紙に色が付いているのか、なぜ正方形なのかの質問に始まり、次どうするの、こっちに来てよく見せて、説明がわからない、難しすぎる、こんなのもうしたくない、と言う子まで出てきた。習字の時も、箸の使い方の時も同じようなもので、私の方が「こんなのもうしたくない。」と言いたくなった。いつも側で見ていてくださる校長先生は「孝子、子どもたちをよく見なさい」と繰り返すばかり。1ヶ月が過ぎる頃には、意気込みはどこかに消え失せ、日本に帰ることばかり考えていた。「フランス人にはどうせ分からないよ。」あんなに夢にまで見ていたフランスが、日本にいたときより遠くなった。
◆架空の壁
思えば私は、フランスという国やフランス人に対してコンプレックスを持っていたのかもしれない。なかなか言葉が通じないことも重くのしかかっていたのだろう。そんなある時、一人の女の子が私の横で裁縫を始めた。今まさに針に糸を通そうとしたその時、彼女が糸の先をぺろっとなめたのである。「フランス人も糸をなめるのか。」それだけのことなのに肩がすとんと楽になった。そうだ、金髪であろうが、足が長かろうが、同じなのである。うれしければ笑い、悲しければ泣き、針に糸を通すときには糸の先をなめるのである。同じ人間なんだ。そんな単純なことが、どうして今まで分からなかったんだろう。「子どもたちを見なさい。」校長先生の言葉が今更ながら胸によみがえる。私はこれまで、一人で勝手に「フランス」という架空の壁を築き、その向こう側でちぢこまり、ちっとも子どもたちを見ようとしていなかったのである。
◆荷物を置いて
私は、日本から持って行った物を忘れることにした。せっかく持って来たのだからあれも使いたい、これも教えなければ、と焦る気持ちがなくなると、不思議と子どもたちを見る余裕ができた。子どもたちを見ていると、あんな散々な授業で作ったにもかかわらず、鶴を飛ばして遊んでいるのが目についた。遊べる物がいいのか、そう思い新聞紙をもらって兜を作ってみた。本当にかぶれることにみんな興奮していた。ついでに新聞紙を丸めて刀も作った。「サムライだ!」思いがけず日本語を知っていることにうれしくなり、手裏剣も作った。「ニンジャだ!教えて!」鶴の時はあんなに文句を言っていた子どもたちが難しい作業にも音をあげず、目を輝かせて作っている。作った後、みんなでニンジャごっこをして遊んだ。初めて感じる一体感。うれしさと楽しさに、涙が出そうになった。その時、一人の男の子が私に近づきこう言った。「孝子、今度ぼくも家から新聞紙持ってくるから、もっと大きな紙で、大きな船を作って。それに乗って日本まで行くから。」本当に涙が出た。もっといろんな事を教えてあげたい、もっとみんなと近づきたい、みんなのことをもっと知りたい。この日を境に、私は真剣にフランス語修得に取り組み始めた。架空の壁は、崩壊した。
◆子どもたちをよく見なさい
あれから5年。今、私は日本の学校にいて、日本人の子どもたちに囲まれて過ごしている。ここには言葉の壁など無く、文化の違いもない。毎日、楽しく笑い合っている。でも、ふと「子どもをよく見なさい、孝子。」という校長先生の言葉が聞こえることがある。思わずはっとして、子どもたちの顔を見てしまう。心に壁を作り、笑っている顔の裏側に泣き顔を隠しているかもしれない子がいるかも知れない。言葉が分かることに安心して、よく見ることを忘れてしまっている自分に気付く。どんなに近くにいても壁があれば相手は遠くに行ってしまう。私はこのことを、フランスで学んだ。しかし、どんなに遠くにいても、分かり合える人のいることも教えてもらった。
小さな友の大きな船は、今この辺りまで来ているのだろう。日本に寄港するのを、今か今かと楽しみに待っている。