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教員の目で見た、海外教育事情

教員で参加した方々から寄せられた体験談をもとに、海外教育事情をトピック別にまとめました。教員の目にとまった、貴重な「発見」ばかりです。

 教師の仕事
「先生方の一に自分自身、二番目に家族、三番目にやっと仕事という考え(が印象的であった)。そして一番大きかった発見は、伝統的な基礎学力を教える部分と自分自身の発想、選択により作り上げる授業とがしっかり区別されていて、後者については教師の個人的裁量に任せられていて結果を気にするのでもなく先生本人の個を大切に押し出した授業がなされていることが一番の驚きでした。」(カナダ)

 多くのアシスタントがいて驚いた
「日本とは一番違って羨ましく思ったのは、1つのクラスに担任の他に常時2‐3人の大人がいて、日本におけるTTのような役目をしたり、学習内容によっては、遅れている児童を教室の隅や近くの小部屋に数人集めて指導したりするなど、Teacher Aidsと呼ばれる先生達が校内に12、3人配置されていることです。この他にもボランティアの方々が大勢います。当日の朝、教師の具合が悪くて欠席する場合は、決められた時間までにその旨の連絡をすると、校長が待機している方(教員)に直ちに連絡し、代わりの先生が来ます。(日本の場合のように専科(音楽・図工・家庭科)の先生がいませんので、代わりの先生をすぐに手配する必要があります。)必要に応じて、その学年担当の副校
長も応援します。以上のとおり、組織の点や緊急時の対処の仕方が日本と大きく違います。」(ニュージーランド)

 日本と違う時間割
「時間割については、全学年とも1時間半のコマが午前中に2コマ、午後に1コマあり、日本の場合と違い、教科としての音楽・図工・家庭科・体育の時間はありません。1時間半の中で、国語・算数の基礎、基本を毎日教えながら、SingingやArt、Fitness(体を動かすこと)の時間を少しずつ取って授業を進めています。」(ニュージーランド)

 時間ではなく、内容で区切られた授業
「感覚的には授業が時間で区切られるのでなく、内容で区切られているという印象でした。授業でやりたい内容があれば無理ない量を組み、あとは生徒個人差により、早く終わった子は別なことをしているし、ゆっくりの子は自分のペースで最後までやるという体制でした。低学年の時(KinderからG3くらい)まで、常にクラスに一人か二人サブの先生がいて補佐をしていて(また退職した先生方もその補佐の先生方に混じっているようでした)速い子ゆっくりの子中間の子達を先生を中心にクラスを一単位にまとめあげていました。
 もう一つは、指導や授業内容に個人指導が必要な子は別のカリキュラムが準備されていて、一日のうちの一時間か二時間をクラスとは別の先生と過ごす時間が用意されていることでした。」(カナダ)

 ほめる教育
「先生が生徒を褒めるのが上手でした。授業中はもちろんですがスポーツで賞を取った、プロジェクト(自由研究のようなもの)が優秀だった、授業態度がよかった、本をたくさん読んだ、皆勤だった等ちょっとしたことでも全校集会で賞状を渡して表彰していました。生徒も嬉しそうに自信に満ちていたのが印象的でした。」(オーストラリア)

 自主性を育てる
「自主性を重んじる。小学校でアクティビティなどをやる時に、まず、やりたくない人は手を挙げて抜けるように指示していたのには驚いた。」(オーストラリア)

 意見を述べる、人の話を聞く教育
「生徒が人前で発表をしたり自分の意見を述べるのが上手でした。そういった活動の場が多く与えられていて、当番制で身近に起こったニュースを伝えたり、新しいオモチャ等自慢したい物を見せたりします。それを熱心に他の子供達は聞き、質問をします。話している人を尊重し聞く態度が培われていました。」(オーストラリア)

 いじめ
「いじめや不快なことをされた場合は当事者双方と先生が立会いのもと徹底的に話し合い、指導がなされていました。後に引かないかと不
安に思ったこともありましたが慣れているのか意外とさっぱりとしているのに驚きました。」(オーストラリア)

 学校と家庭の責任分担
「オーストラリアの学校で感じたことは、学校における責任と、家庭における責任が明分化されているということです。人が話をしているときは静かに聞くといった集団でのルールについては学校で厳しく指導をしますが、教師や友達に対する態度が悪いときや忘れ物が多いとき、教師が注意しても聞かないときなどは保護者が学校に呼び出され、担任の先生、あるいは校長先生と交えて話をし、家庭で解決してもらうといった方法をとっていました。」
(オーストラリア)

 親が学校の運営に参加
「生徒の親が学校の教育に深く関わっていました。
@ 生徒の親が先生の補助をしたり、実際に教壇に立って体験談を語ったり授業をしていました。親が警察官で、制服のまま交通安全、警察の仕事について話をしていたのが印象的でした。
A 学食の経営は生徒の親が交代で行っていました。事務員もほとんどが生徒の親でした。校舎の補修や大掃除に親達が進んで参加していました。
B PTAのような組織があり、学校経営・予算に生徒の親が関わっていました。
C 生徒の親主催によるバザー、ディスコ、晩餐会等の行事があり、それらの収益金の多くを学校に寄付していました。」
(オーストラリア、Independent School)